先日、二度目の「福澤展」に行って参りました。
前回は1月9日のオープニングレセプションの時でしたから「会期中」は今回が初めてです。
とは言うものの、一度行った展覧会に二度も行くというのは、それなりの理由があるわけでして・・・
理由は3つ。
・前回は時間が足りず、最後のほうが駆け足(ということで見そびれた)
・展覧会記念グッズを買い忘れ
・同時開催の「妙心寺展」を見に行きたかった
一番の理由は、一番下だったりもしますが、いずれにせよ、二度目に行ってまいりました。
福澤展の開催期間は1月10日から3月8日まで。
妙心寺展の開催期間は1月20日から3月1日まで。
福澤展は、このあと5月に福岡、8月に大阪に巡回し、妙心寺展のほうは3月に京都へ巡回するようです。
福澤展のほうが見るチャンスが多く、妙心寺展のほうは貴重です。
さてさて、先に妙心寺展のほうのお話をしておくと、圧倒されるのは白隠慧鶴(はくいんえかく)の力強い筆致の文字・絵画、と「豊臣棄丸坐像&玩具船」です。
白隠慧鶴という方は、いまや臨済宗中興の祖とまで言われる方で、ものの本に拠ると「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」とまでいわれた方のようです。
妙心寺が基盤となっている花園大学には「国際禅学研究所」なる機関があり「白隠学」の研究までおこなっているとか。
かたや、事前に展示していることを知らずに見てびっくりしたのが、「豊臣棄丸坐像&玩具船」です。
捨丸とは、豊臣秀吉の第一子の鶴松のことで、三歳で夭折した際の葬儀を妙心寺で行ったこともあり、その遺品が所蔵されているとのことでした。
(ちなみに秀頼は第二子で幼名は拾丸、お拾)
さすがに時の権力者の遺子の遺品とあって、妙心寺のほうでも大事に保管しておいたのでしょう。安土桃山時代の幼児玩具(とはいっても、とても立派ですが)を、400年以上離れた現代で見れるとは思っても見ませんでした。
さて、妙心寺展はこれぐらいにして、次なる目的地は福澤展です。
オープニングレセプションでの混雑は異常ともいえるものでしたが、この日の福澤展は、ほどほどの人の入りで、ゆっくり見学ができる(でもところどころ黒山あり)という感じでした。
前回は、前のほうから順番にじっくり見ていたこともあり、後半のほうが駆け足になってしまっていたので、今回は前のほうは「復習」程度で、改めて後ろのほうを。
後ろのほうに何があるかと言いますと、
展示品は
■第1部 あゆみだす身体
■第2部 かたりあう人間(じんかん)
■第3部 ふかめゆく智徳
■第4部 きりひらく実業
■第5部 わかちあう公
■第6部 ひろげゆく世界
■第7部 たしかめる共感−福澤門下生による美術品コレクション−
な感じに並んでおり、特に「前回見落とした」のは、第6部と第7部でした。
第6部には、たとえば「木村摂津守英文名刺」「福澤諭吉アメリカ土産の乳母車」といったレアなアイテムや、誰もが知る「グーテンベルグ聖書」、そして数々の福澤諭吉写真。
第7部には、福澤門下生の美術品コレクションということで、明治後期から大正、昭和と活躍した実業家たちが蒐集した茶道具類が展示されています。これがなかなか。茶道具の類は、「作った人」分類での展示はよくありますが、「集めた人」分類(しかも近代)で展示されることはあまり多くないので、少し違った観点でなかなか興味深かったです。
ちなみにもう一つの目的「グッズを買って帰る」ですが、無事、写真絵葉書や一筆箋等、ここでしか買えない物をゲットいたしました。
福澤展、あと3週間ほどですから、まだ行かれていない方は、是非。
補足:
タイトルの慶應4年は慶應義塾が出来た1858年、建武4年は妙心寺が出来た1337年のことです。「4年」つながりってことで、タイトルにしてみました。
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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと243日
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