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ほぼ2週ほど前、朝日新聞に「不思議な」記事が出ていました。
仕事直結の授業中心、「新大学」創設へ 中教審の報告案
《新聞記事:朝日新聞:6月23日付》
全文を引用すると、こんな記事です。
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中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は22日、会議を開き、職業教育に絞った「新しい大学」を創設する方針を打ち出した。教養や研究を重視する今の大学・短大とは別の高等教育機関(新学校種)。実務の知識や経験、資格を持つ教員が職業に直結する教育を担う。実現すれば、高校卒業後の学校制度が大幅に変わることになる。
これまでの議論では、新大学の名称は「専門大学」「職業大学」などが考えられている。報告案によると、新たな教育課程は、実験や実習など仕事に直結する授業に重点を置き、割合として4〜5割を例示している。このほか関連する企業での一定期間のインターンシップを義務づけ、教育課程の編成でも企業などと連携する。修業年限を2〜3年または4年以上を考えている。
中教審での議論は、就職しても早期に仕事をやめる若者が増えていることや、かつてと仕事内容や雇用構造が大きく変わったことから始まった。この過程で、一般(教養)教育や研究に多くの時間を割く、これまでの大学と目的が異なる新たな高等教育機関の設立が具体化してきた。
今後の議論を踏まえて方針が了承されると、文科省が制度設計の作業に入る。設置基準などの仕組みができれば、新大学への移行を希望する専修学校(専門課程)などが集まるとみられる。
ただ、現状の専修学校の制度は、私学助成対象とならない代わりに設置基準が緩く、自由な運営や教育ができる。また新大学が、地域の大学や短大などと競合する場合もあり、反発が出る可能性もある。22日の会議でも「現行の大学にも多様性があり、議論は尽くされていない」との反対意見が出た。中教審は今夏をめどに報告をまとめる方針だ。(編集委員・山上浩二郎)
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記事によると「22日の会議でも」とあるので、中央教育審議会の中でも「キャリア教育・職業教育特別部会」での議論であったことが分かります。
キャリア教育・職業教育特別部会(第10回)の開催(6月22日)について
《プレスリリース:文部科学省:6月15日付》
この部会のメンバーは以下のとおり。
キャリア教育・職業教育特別部会 委員名簿
記事を注意深く読んで見ると、これは、現在の「専修学校」を新たな学校種として「一条校」に取り込んでいく(文科省の縛りの下に置く)ような話に見えます。
「一条校」、なんのことだかご説明をしますと、学校教育法第一条に「この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。」となっており、ここに定められた「狭義の」学校のことを指します。
これらの「一条校」は、学校教育法その他の法律などによって規制ならびに保護を受け、年限や目的、卒業時に授与できる学位などが定められている教育機関を指すわけです。
で、上記の議論は、これまでの大学(一条校)とは違う「新しい大学(新学校種)」を創設しようという議論なわけですから、文科省としては、新しい一条校の枠組みを作りたい(そしてコントロールしたい)ということになるのでしょう。
とは言うものの、現在、この議論で言う「職業教育に的を絞った」教育は、いわゆる専門学校(法律上の種別で言えば「専修学校」)がこれまで長年にわたり担ってきているわけで、ここに手をつけようというわけです。
この、「ハコ(制度)をいじれば、どうにかなる」という発想は、一体いつまで続くのでしょうか・・・
ある意味「自由競争」で、これまで需給関係を冷静に見つめ、変幻自在の動きを見せていた専修学校の世界に「神の見える手(見えざる手ではなく)」が加わろうとしているわけです。
学校を設置している理事者側や「大学の先生となりたい」方々にとっては、ある意味朗報なのかもしれませんが、これは本当に「教育を受ける側」にとって、意味ある施策になり得るのでしょうか?
ちょっと懐疑的です。
現在「大学」に対しても「神の見える手」を用いて「専門職大学院」をはじめとして様々な手を打っているようですが、それらが当初想定していたような結果を上げているかというと、どうなのでしょうか?
「結論は出てないけど、ここではもうこれ以上何もできないから、別のところで何かしようか?」というニュアンスを感じます。
そもそもスタートは、戦後教育制度が前提としている「6・3・3・4制」に起因していると思います。
最後の「4」が、名前こそ「専門学部」で構成されながらも、その教育内容の実質は「専門科目」こそ教えるものの、その内実といえばマス教育であるがゆえに、その専門家を育てることにはほとんどなっていないという現実から直視すべきだと思います。
理系の方であれば、職業につながる「専門」を学んでいるのかもしれませんが、文系にはその論理は通用しません。
私自身、学部時代の「専門」は政治学ですが、今の職業とは全く関係ありません・・・
むしろ大学で学んだのは「学ぶ姿勢」や「学び方」といった「社会人基礎力(と恐らく今では言われるであろう)」であって、しかもこれについても、課内というよりも課外で学ぶことが多かった記憶があります。
そのような状況が続いているであろう大学について手を着けることなく(「研究者」の集まりに教育をさせる)、新しい学校種を作ろうなんて、ある意味、責任放棄に近い感覚を覚えます。(とはいえ、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的」と規定してしまっている(学校教育法83条)では、これ以上は難しいのかもしれませんが)
そんな予算と時間があるのであれば、今ある学校をどうにかするのではなく、そのような学校に多くの「やる気」と「元気」と「能力」がある(でも、金銭的・家庭的等の事情から入学・進学の機会が失われつつある)生徒・学生が入学・進学できるような仕掛けを真剣に考えることのほうが、将来のために現在の国づくりを考える官僚・官庁の仕事だと思うのですが・・・・
この先、どのように議論が展開されるのでしょうか。
本当に「専門大学」「職業大学」が出現する日は来るのでしょうか・・・
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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと105日
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