1999年三田会、登録受付中
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昨日(3日)と今日、都内の某倉庫にて、18日に開催予定の慶應連合三田会大会(連三田)の福引賞品の「袋詰め」作業に参加してきました。
連三田では、「大会券」というチケットを販売しており、これが「記念品との引換券」と「福引の抽選券」を兼ねています。
連三田それ自体は、大会券の売上によってその運営費を賄っている訳ですが、この運営費が
・各種イベントの企画・機材費
・記念品の制作費
・福引賞品の購入費(一部)
等に充てられています。
福引の賞品については、その多くが企業・各種団体・各種三田会・塾員等の物品及び広告協賛によって成り立っており、これらを「KD(慶應ドリーム)賞、K賞、E賞、I賞(下二桁)、O賞(下一桁)」に分けて抽選会を行っています。
今回袋詰めを行った、O賞とI賞は、大会券の販売数に連動して当選数も決まる賞であるため、当選本数分を事前に用意しておく必要があります。
特にこのO賞、I賞は、「何か一つのもの」を賞品としているわけではなく、協賛いただいた賞品を複数「一つの袋にパッケージ」する形で賞品としているため、大会前には必ず「袋詰め」という作業が必要になるというわけです。
というわけで、今年もこのO賞(ならびにI賞)の袋詰めがあり、今年初めて実行委員(卒業10年目ということで)をしている私も、この「戦列」に加わってまいりました。
土曜朝9時半、到着した都内某所の倉庫には、人の背丈ほどあるダンボールの山が無数に並んでいました。
70名ほどでここから「袋詰め」を始めたわけですが、正直最初は「二日で終わるの?」と思えるほど、気の遠くなる量の物品が山と積まれていました。

一日目朝:人の背丈ほどある「山」
袋詰め作業としては、これら頂戴した&購入した商品を、袋に詰め易いようにいくつかのブロックに分けて並べ、このブロックを袋を持ったメンバーがグルグル回って一品ずつピックアップして袋に詰めていき、最終的に一つの賞品パッケージを作るという作業を、文字通り「ひたすら」行っていきました。
頂戴&購入した商品は、大きさ・重さ・固さ・形がマチマチで、また数量も全てが同じわけではないため、一言で袋に詰めていくといっても、それはそれで技術が必要で、私も含め、始めたばかりのころは皆さん四苦八苦しておりました。
とはいえ、回数を経るにしたがって次第に要領を得てきて、スピードアップ。
だんだん1袋だけではなく、同時に2袋。更には4袋も同時に作るという猛者も・・・

一日目夕方:まだまだ「山」
しかし、どんなに回っても回っても終わらない・・・
作業は30分作業して10分休憩するというサイクルを繰り返していたのですが、午後も遅くなってくると、「おーい、まだ時間にならないのかー」なんて声も聞こえてくるぐらいに、ジワジワと疲労困憊。
なんといっても、私たちの年代が一番若く、10年上だと42歳ぐらい、20年上だと52歳ぐらいの人々が、ここ数十年していないような作業をするわけですから、もう大変。
「こんなに作業だけに没頭するのなんて、何十年ぶりだろう」なんて声も出ていました。
そんなこんなで、一日目はなんとか半数以上の袋を作り終えて、二日目へ。
二日目は、前日の経験の蓄積(と同時に疲労も蓄積されていました)が多分に生かされ、朝のスタート段階からフルスピード。
30分作業・10分休憩のサイクルに体も慣れ、作業のペースも、もはや体が覚えるまでに至り・・・

二日目午後:そして無くなった・・・
二日目の午後はやい時間に、数千袋の袋詰めは終わりました。
やればできるもんですね。
二日目の朝早い段階にパレット(荷物が載っている台)が見えてきた(すなわちダンボールがなくなり始めてきた)時は「おぉ、終わりに近づいているよ」と感動すら覚えました。
なんといっても、一日目の朝は、背丈ほどにダンボールが積まれていたわけですから。
ここで荷造りされたO賞は、大会当日の18日に、今度は大会参加者(O賞当選者)に受け渡されることになっています。
二日かかって袋詰めしたものが、一日に満たない時間でなくなってしまうのかと思うと、改めて大会の規模の大きさを感じます・・・
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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと14日
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