今年2010年は、卒業生評議員選挙が実施されます。
投票用紙が届くためには、塾員原簿の更新が必要です。
住所変更等による塾員原簿の更新は塾員センターまで。
----------
ちょうど1週間前の日曜日、「第175回福澤先生誕生記念会並びに新年名刺交換会」に出席するため、三田の山に登りました。
第175回福澤先生誕生記念会開催
《ニュース:慶應義塾:1月12日付》
連休の中日で、快晴。
澄み切った青空の中での開催でした。
ご存知の通り、福澤諭吉先生は、太陰暦でいうところの天保5年12月12日、太陽暦では1835年1月10日に大阪にて生まれました。

旧図書館前の福澤胸像
そこから数えること175回。
実際にいつからこのような会を始めたかどうかは不明ですが、誕生日としては175歳の誕生日になります。

さて今回は175回目、25年に一度を周年としていることが多い義塾では一つの区切りとなる年でもあり、曜日も日曜日、しかも塾長交替があって新塾長が年頭挨拶を行う最初の年ということもあって、かなりの人出でした。

開会10分前ぐらいの西校舎ホール
私は、幸いなことに「役員席」として用意された席のほうに案内され、理事・学部長・研究科長の皆さんとともに座ったわけですが、こちらのほうも例年より列席者が多かったです。
そこから後ろを見ると、まさに立錐の余地なし。
ホールの席はいっぱいで、立ち見の方も数多く見受けられました。
午前中の「誕生記念会」は、
式次第:
開会
「福澤諭吉ここに在り」 合唱:幼稚舎生
「日本の誇」 合唱:ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
年頭挨拶:塾長 清家 篤
記念講演「ジャーナリストの羅針盤」読売新聞特別編集委員:橋本五郎君
福澤家代表挨拶:福澤 信雄君
小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト表彰状授与
塾歌斉唱
閉会
という形で進みました。
つい先日知ったのですが、幼稚舎生が合唱する「福澤諭吉ここに在り」は、年に一度、ここでしか聞けないそうです。
清家塾長からの年頭挨拶は、昨年までの安西塾長とは違い、また1回目ということもあって、個別具体的な施策というよりは、まさに「施政方針」というようなかなり大きな方向性を述べられていました。
橋本五郎君の特別講演ですが、さすがは新聞記者。
ご自身が担当していた宮沢喜一による福澤論から始まり、思考の土台としての福澤の著作・発言について随所に触れる内容で、なかなか含蓄がありました。
昨年の北里一郎君の講演は「身内」としての福澤でしたが、今回は「先生」としての福澤という感じだったでしょうか。
小論文コンテストの授賞式まで終わると、その後は生協食堂へ移動して、新年名刺交換会です。
生協食堂は、三田の中では一番広い食堂なのですが、この日だけはまさに「満員御礼」。
乾杯のタイミングでも、食堂に入りきらないほどの数の人がいるほどです。

歓談中。かなり人数的に落ち着いた後。
役員、職員はもとより、お世話になっている諸先輩方も多数参加していらっしゃるので、グラス片手にグルグルと会場内を回っておりました。

中締めは、「若き血」。
義塾としては、この日からが仕事始めと言ってよいでしょう。
学生のときの1月10日の存在は、試験前の調整日、あるいは冬休みの実質最終日、だったりもしたわけですが、皆さん集まっておられたのですね(苦笑)。

今、南校舎は新築中で、跡地には何もありません。
三田から遠く田町駅まで望めます。

さすがに冬の晴れの日だと、東京タワーはキレイに見えます。

旧図書館も、青空を切り取るかのように屹立していました。
さて、いよいよ今年は選挙です。
来年の1月10日、私はどんな立場でこの日を迎えることになるのでしょうか。
どんな立場であれ、きっと顔は出すと思いますが(苦笑)。
ちなみに
第175回福澤先生誕生記念会開催
《ニュース:慶應義塾:1月12日付》
の中にある4枚の写真のうちの右下、「福澤先生関係資料展示」で、ロングコートを来て資料を見ているのは、私です・・・
----------
↓お読みいただきありがとうございました。宜しければクリックお願いします。
