今年2010年は、卒業生評議員選挙が実施されます。
投票用紙が届くためには、塾員原簿の更新が必要です。
住所変更等による塾員原簿の更新は塾員センターまで。
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今日は日吉で、大学学部の卒業式がありました。

一年前の予定では、昨年の入学式を最後に、日吉記念館は創立150年記念事業の一環として建替えに入る予定でしたが、記念事業全体の見直しによって建替えは延期となり、今年も卒業式を日吉記念館で開催することとなりました。
工事の延期は、昨年連合三田会の当番年だった側としては非常にありがたかった(会場のレイアウトに大きな変更が生じなかったため)のですが、評議員の立場からすると、計画の延期はなんとも残念。
実は、日吉記念館がダメであれば、パシフィコ横浜で開催するはずだったんです・・・

今年の卒業式に参加した塾生は、2006年に入学した約6000名。
それに、卒業25年(1985年卒業の126三田会)の招待塾員が数百名。
どうやら、126三田会の一員として河野太郎君もいたようです。
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ごまめの歯ぎしり 10年3月22日号
(前略)
中等部出身の幹事から、おまえも来いよと声をかけられる。
俺、大学は卒業してねえぜ、と言うと、人が集まらないと赤字にな
るから必ず来い。
それじゃあと出席してみると、かつて試合中にフォーカスされて一
躍、勇名を馳せたラグビー部の村井をはじめ、何年ぶりだろうとい
う久しぶりのなつかしい顔がぞろぞろ。
二次会では、競走部OB8人で席を取る。僕はわずか数ヶ月しか大
学の競走部にはいなかったが、みんなあたりまえのように僕の分の
席も取っておいてくれて、僕もあたりまえのように座ったが、ちょ
っとうれしかった。サンキュー。
僕らの代は、関東インカレ最後の種目の1600mリレーで最後の
一点を足して一部残留を決めた。リレーメンバーには、実は点を取
らないと二部落ちということを伝えずに走らせたという話で盛り上
がる。
最初から最後まで、おい、自民党をなんとかしろと、旧友から叱咤
激励が。
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今日の卒業式は、清家君が塾長になってから、日吉で行われる初めての卒業式。(昨年9月に三田で9月卒業分が行われているので、卒業式としては2つ目です)
式辞として話すテーマが常に一貫しているので、分かりやすいと言えば分かりやすいのですが(聴衆も、だいたいはいつも別だし)、
同じ式典に何度も出席する身からすると、ちょっとミミタコなところもあり(苦笑)。

それにしても、卒業生の顔は本当に晴れやかです。
こっちまで晴れやかな気分になってきます。
彼らは今日、この日をもって、塾生の期間が終わり、塾員としての時間が始まります。
151年目を迎えた、慶應義塾社中の新たな門出です。
ちなみに今年は福澤先生が誕生されて175年目にあたります。
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