----------
今年2010年は、卒業生評議員選挙が実施されます。
投票用紙が届くためには、塾員原簿の更新が必要です。
住所変更等による塾員原簿の更新は塾員センターまで。
----------
【投票は、ぜひ「H-2:西富亮介」へお願いします】
みなさん、お元気ですか。
西富です。
「ミニ集会」は、いよいよ明日となりました。
参加をご希望される方は、
tommy(あっと)1999.jukuin.keio.ac.jp
までお願いします。
19時半から、場所は日比谷近辺です。(こう書くと分かる方もいるかもしれませんね)
さて、すでに過去2回、「皆さんからの素朴な疑問にお答えします」という記事を書いてきました。
ミニ集会開催通知(9月6日)&「皆さんからの素朴な疑問にお答えします」その1
《ブログ:8月30日付》
「皆さんからの素朴な疑問にお答えします」その2
《ブログ:8月31日付》
その中では(以下は全てリンク先に飛びます)、
1:評議員会って何?
2:評議員って何してるの?
3:評議員会って誰がいるの?
4:評議員会って、いつしてるの?
の4つの質問についてお答えしてきました。
ここまでは「制度」についての質問についてお答えしてきたわけですが、今日は「私」に対しての質問についてお答えしておきたいと思います。
5:なんで立候補したの?
そもそもの立候補の動機は、
「選挙で決める枠がある」のであれば
その候補者が全て「名だたる著名人」である必要もなし、
「もっと若手塾員の声が反映できるような候補者」が居てもいいのではないか、
と、思ったことが発端です。
実は立候補は、2002年、2006年、そして今回と、3回目になります。
それぞれ立候補時の年齢は、26歳、30歳、34歳となります。
(卒業生評議員選挙は4年に一度、25歳以上に被選挙権があります)
ご存知のように(「評議員一覧」を見ていただければ分かるように)、評議員には日本でも指折りの、財界の大物や著名な方々が就任されています。
その重みは十分に認識しているものの、一方で、それがゆえに「評議員は、名だたる大物が名誉職として勤めるもの」という「常識」が一般化しており、その選挙も、塾員が個々人の意思を表明する場ではなく、「利候補者を抱える企業・組織による組織選挙」となっており、「票は頼まれたら譲るもの」という慣習?も定着していたかと思います。
それが実態だとしても、評議員会や(卒業生)評議員選挙の本分は「塾員による直接参加(直接投票)」であり、これを実質化していくには「しがらみのない(少ない)候補者が選挙に立候補し、「組織選挙」以外の選択肢があることを体現する」ことが必要なわけです。
そう思ったときに、幸いにして私は「しがらみの少ない」立場であったため、(最適な候補者かどうかは別として)「評議員選挙は、普通の塾員でも(条件さえ満たせば)出馬することが出来る」ことを証明するために立候補したわけです。
その結果、初めて出馬した2002年の選挙において、立候補時点で集めた署名数を遥かに上回る得票数をいただくことはできました。
これは私自身大きな驚きでした。落選はしたものの「無謀な挑戦者(by ゼミの大先輩)」に対して支持していただける方がいたわけで、その付託に応えるためにも、2006年の選挙に引き続き立候補し、「得票数が増え続ける限りは(死ぬまで)立候補し続ける」ことにしました。
そう決めていた中で、2006年の11月初頭に「繰り上げ当選」の連絡をいただき、はからずも(2回目のチャレンジにして)評議員になることが出来ました。
6:評議員になって、どうしようとしてたの?実際に何をしたの?
当然のことながら、私は、私以外の評議員の方とは、人生経験も社会的地位も何もかも異なるわけなので、私自身が評議員となってまずすべきこととして「評議員会、評議員、義塾の現状を、直接塾員の皆さんに伝えること」を考えました。
それが具体的な形となったのが、まさしくこの「若輩評議員日記」というタイトルのブログというわけです。
(このブログ、以前は「四年に一度の評議員選挙(立候補(予定)者:西富亮介のブログ)」というタイトルだったんです)
このブログ以外にも、各地の三田会、連三田をはじめとする様々な場所でお話をさせていただきました。
ここまでの話が「外に対する」貢献の形だとすれば、「内に対する貢献」としては、
「コンサルタントとして」「大学経営・高等教育政策を学ぶ者として」の貢献を考え、具体的に行ってきました。
評議員に当選した2006年時点で、私はちょうど「東京大学大学院教育学研究科:大学経営・政策コース」の修士課程に学ぶ大学院生だったこともあり、講義や各種演習(米国や中国に事例研究に行ったことも)を学んで得た知識をベースに、コンサルタントとしての知見も織り交ぜて、評議員会内で積極的に質問・意見などを発言してきました。
(はじめに発言しようとしたときは、緊張しすぎて、手が震え、冷や汗が出ました・・・)
そうは言っても、質問や意見などが的外れでは意味がないので、タイミングを見つけては総務部へ赴いて、理事会の議事録を閲覧するなどして、何がどこまで話されているのかを確認していました。
その甲斐があってか、それまで「しゃんしゃん」だった評議員会にも「発言しても良い」という空気が醸成されたという話をお伺いしましたし、私が質問をするために、執行部段階での検討が詳細になったとのお話もお伺いしました。
それ以前がどうだったのかは、私は全く分からないのですが、何名かの方からそのようなお話をお伺いしたので、おそらく、私が評議員になったことの一定の効果はあったのだと思います。
そうは言っても、しばらくは「あの若者は何なんだ?(西富、who?)」という状態だったようですが・・・
【投票は、ぜひ「H-2:西富亮介」へお願いします!】
----------
↓お読みいただきありがとうございました。宜しければクリックお願いします。