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投票用紙が到着されていない方は、実家等をご確認ください。
「宛先不明」で義塾に返送されている場合は、投票用紙の再送も可能ですので、塾員原簿の更新と再送願いを塾員センターまで。
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【投票は、ぜひ「H-2:西富亮介」へお願いします】
みなさん、お元気ですか。
西富です。
9月も1週間経ち、だいぶ各地で「集票」が盛んに行われているようです。
が、
「集票」は元から禁止ですし、それについて今回は以下のような「お願い」が候補者名簿と共に記載されています。
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卒業生評議員選挙における行き過ぎた集票行為に対して、品位を欠くものであるというご批判を頂戴しております。塾員の皆様におかれましては、投票用紙の譲渡は禁止されていることを改めてご確認ください。なお、自署・押印の無い投票用紙は無効となります。
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このような注意が書かれてしまうこと自体、非常に残念なことですが、現実には各陣営で、候補者の意思を超えて(?)、白紙の票のやり取りが行われているようです。
さて、それは他陣営のこととしてひとまず置く(あまり看過できませんが・・・)として、本日(といってももう昨日になってしまいましたが)、また日比谷の帝国ホテルの下にある東京三田倶楽部にて「ミニ集会」を開催しました。
今回の「ミニ集会」の特徴は、早めに予定をブログ上でお知らせしていたと言うこともあり、ブログに書いたメールアドレス宛に直接「お邪魔してもいいですか」と連絡を下さった方に、多数ご参加いただきました。
多少の出入があったものの、私を含めて12名。
男性が9名、女性が3名という構成でした。
(3:1という比率は、もしかしたら今の塾員の男女比を反映しているかも知れません・・・)
しかも今回は、ご参加いただいた年齢層も幅広く、
上は昭和32年(1957年)卒の大先輩から、
下は昨年(2009年)修士課程を卒業したばかりの方まで。
実際にはどのように進んだかというと、さすがに「メールでダイレクトコンタクト」した方々の「直接色々聞いてみたい」という意欲は並々ならぬものがあり、その方々からの様々な内容の質問攻めにあいました・・・
評議員会のことはもとより、小中一貫校の話や創立150年記念事業について、更には塾生の就職状況や各学部の人気度に至るまで。
こちらの準備不足でした・・・
ある程度までの質問であれば答えられる自信もなくはなかったのですが、さすがに塾生の就職状況まではカバーできておりませんでした(汗)。
32年卒の大先輩は体育会にも所属されていたとのことで(投票は別の候補の方へ行うとのことでしたが)、昔の「10名連記時代」の評議員選挙の様子や、今に伝わる伝統の起源など、非常に興味深いお話もお伺いすることが出来ました。
今回もまた、多数の塾員の方とお話させていただき、有意義な時間を過ごすことができました。
ご参加いただいた皆さん、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました!!
そして「封筒、まだ開けてないけど、どうすれば良いの?」という質問も。
ステップとしては、
1)封筒を開け、
2)候補者名簿を確認し、
3)意中の候補者の記号番号(私は「H-2」です)を記載し、
4)自署・捺印を行い、
5)50円切手を貼って
6)郵便ポストへ投函
です。
最大のポイントは、これを「一人で」行うことです。
このステップの中に他者が入る場合、それは何らかの形で「票の譲渡をしている」ことになりかねないので、十分にご注意を。
今後も、不定期ではありますが「ミニ集会(という名の飲み会)」を開催しますので、ご興味のある方は、
tommy(あっと)1999.jukuin.keio.ac.jp
まで、ご連絡いただければ幸いです。
【投票は、ぜひ「H-2:西富亮介」へお願いします!】
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純粋に愛校心・名誉心、また会員制社交クラブ的な満足感があるものなのか、それとも利益誘導などをして金銭的なメリットがあるものなのか。ぜひお教え頂ければ幸いです。
ただ、社会的に成功した(と思っている)塾員にとって、「自分が社会的に成功したということを義塾が認めてくれた」という一種のシグナルとしての機能を「評議員」というポジションは持っていると思います。
(私の場合、これには全く当てはまりませんが)
実際は、評議員になることにより、というか、評議員になるために、自身が勤める(というか経営する)企業・組織のパワーをフルに活用して(取引先にも声をかけて)票を集めなければいけませんし、なった後も陰に陽に義塾から「協力」(個人としても組織としても)を求められることになります。
「利益誘導などの金銭的なメリット」については、私が知る限り、ありません。
むしろ、寄付金(個人・法人)、寄附講座、様々な行事への参加(と協賛)などなど「出す一方」だと思います。
その意味では、極めて「名誉職」です。
その名誉職を「自分(とその母体である組織)は務める(支える)ことが出来るのだ」という点が、愛校心や名誉心を満たす部分は、多分にあるかと思います。
そもそも評議員会の成立の経緯自体が「義塾を支えていくために、カネを集めて管理し、義塾を運営する」というところに由来している(明治初期ですが)ので、「その任を務めることができる」こと自体が、極めて「名誉」だと思います。
その任に堪えうる、もしくはその任を十分に認識している方しか就いてはいけない地位だと思います。
>ただ、社会的に成功した(と思っている)塾員にとって、「自分が社会的に成功したということを義塾が認めてくれた」という一種のシグナルとしての機能を「評議員」というポジションは持っていると思います。