「なんで、一私学の評議員の選挙が、新聞、それも産経新聞に公示されるのか」と。
これを知っている人は、かなりの日本史マニアか慶応マニアですな。
答えは、ウィキから。
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1950年、「産業経済新聞(産経新聞)」を率いて再度東京進出を目指した前田久吉が、戦前の責任を取る形で時事新報の経営に当たる事となった。この時より産経と兄弟関係となり、1955年産経と合同。東京で発行していた産経は「産経時事」と改題した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』「時事新報」
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そうなんです。産経新聞こそ、福沢諭吉が創刊した日刊紙「時事新報」の後継紙なんです。というわけで、評議員選挙みたいな義塾にとっての一大イベントについては、産経新聞に公示される、というわけなんです。
ちなみにウィキにはこんな一文も。
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現在、「時事新報」の題号並びに著作権など一切に関する権利はフジサンケイグループが有している。
『ウィキペディア(Wikipedia)』「時事新報」
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おっと、「あの」騒動のとき、もしかしたら「時事新報」はホリエモンの手に渡っていたかもしれなかったんですね。
ちなみに「ウェブ版:時事新報史」を発見。
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