「平成19年度9月 慶應義塾大学卒業式」
が挙行されました。
3月の卒業式(3月31日付ブログ「卒業式(ところ変われば・・・)」)の規模とは全く異なり、今日の式は法学部政治学科・総合政策学部・環境情報学部の3学部学科で学んだ、9月入学生150名前後の式だったので、親御さんも含めてホールに入れる(3月は親御さんは別会場でVTR中継)という、非常にこじんまりとした式でした。
とはいえ、正式な学部の卒業式であることには変わりなく、安西塾長、福澤評議員会議長をはじめ、常任理事(のほとんど)、3学部長が臨席する、立派な卒業式でした。
式次第は
・開会
・学事報告(西村常任理事)
・学位記授与(安西塾長)
・表彰状授与(安西塾長)
・式辞(安西塾長)
・教職員代表祝辞(環境情報学部:清水浩教授)
・在学生代表送辞
・卒業生代表答辞
・塾歌斉唱(混声合唱団楽友会)
・閉式
という具合に進み、総計50分弱というものでした。
3月と大きく違うな、と思ったことが2つ。
・三田会の発足式がない
・袴姿の女性が少ない(壇上に上がった女性はいずれも洋装)
3月は卒業式が終了し、間髪入れずに年度三田会の発足式になったのですが、今回はそれはありませんでした。
それに、さすがに季節を反映してか、全体として着物姿の女性が少なかったのは、3月のあの光景を見慣れている身からすると「ちょっとした会社の入社式」のような光景とも見て取れました。
--------
さて、9月卒業といえば、明後日の21日には学部と大学院の入学式も控えているわけですが、ちょうど昨日18日に「9月入学完全自由化」という記事が各紙を賑わせました。
「大学9月入学」後押し 時期、学長が自由に
《新聞記事:朝日新聞9月18日付け》
大学「9月入学」来年度にも解禁へ、海外の人材呼び込む
《新聞記事:読売新聞9月18日付け》
9月入学さらに「自由化」 原則廃し大学が独自設定
《新聞記事:共同通信9月18日付け》
現行の学校教育法施行規則では大学の学年を「4月1日に始まり、3月31日に終わる」を原則としているものを「学年の始期、終期は学長が定めることとする」とすることで、9月入学の促進を図るんだそうです。
9月入学推進論者の言を借りると「海外の大学に比べて外国人教員や留学生の受け入れが遅れており、「4月入学」がその最大の要因」なんだそうです。
日本の大学が4月入学となった経緯は寺崎昌男著『東京大学の歴史』に詳しいですが、大正の前半までは日本の大学も9月入学だったんです。
それが、政府会計制度と徴兵制度によって、義務教育機関と教員養成系学校に4月始期が導入され(20世紀初め)、高等教育機関である旧制高等学校と帝国大学の9月始期との併存が15年ほど続いたものの、4月始期にすれば学校のつながりに無駄が無くなって高等教育終了までを最短にすることができるという政府の強い意向が働いた結果としてのやむを得ない選択として定着しているのが現在の4月始期というわけなんです。
歴史的な経緯を踏まえて考えたときに、9月入学になったから国際的競争力が増したりするかといえば、現状が変わらないとすればそれはあくまでも「日本国外から人材を受け入れる」手段が、やや便利になる、というだけで、それ以上のものにはなりそうにありません。
というのも、現状でも9月入学は現実として対応できているからです。
しかも「国外から人材を受け入れる」ことができるような大学は、その煩雑な事務を許容できるという意味でも一部の大学でのみ可能な事であって、その基準に達している大学は、現在においてもすでに9月入学を実施していることろがほとんどなんです。
法律的には「画期的」と言えるかもしれませんが、現場としては「既に対応してますが」ってことなんだと思うんですよねぇ・・・
【関連サイト】
どうして日本は4月に入学するの?(all about)
【今日(9月19日)は何の日】
武田信玄、関東管領を撃退(1547)、プラド美術館完成(1819)、昭和天皇、吐血して倒れる(1988)
【今日が誕生日】
アントニヌス・ピウス(89)、アンリ3世(1551)、高橋是清(1854)
【今日が忌日】
正岡子規(1902)、中内功(2005)、後藤田正晴(2005)
プチ情報:明日(9月20日)は、私の誕生日。
