小ハゲ天@銀座5丁目
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今週の月曜日の24日、本年度の卒業式に参列すべく、日吉に行ってまいりました。
今年の卒業式は、残念ながら雨交じりの曇天。
とはいえ、卒業生やその親御さんの顔は、じつに晴れやかでした。
現在、日吉では、横断歩道を渡ったすぐ右、昔プールがあった場所に「日吉キャンパス複合施設(仮称)」を建設中です。
この施設はこの夏に竣工し、11月8日に予定されている150年記念式典の主要会場になる建物となります。
3月24日現在の工事の進捗状況は、以下の写真のとおりです。

チラッと見えていますが、この建物のほぼ真下に、横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉駅が3月30日開業の予定となっています。
・グリーンライン:日吉駅
(図中の右下の出入口が複合施設前にあたります)
キャンパスの正面には、卒業式の看板が。

本来であれば、看板前で記念撮影もと行きたいところだと思うのですが、「6000人+親御さん」の流れはスゴイもので、とても記念撮影をゆっくりできる状態ではなかったようです。
この日の並木道は、人の流れが左に曲がらず、まっすぐです。

卒業式の会場である日吉記念館の中は、ヒト、ヒト、ヒト。

評議員が座る席は、会場の最前列右側、檀上者である塾長や理事の正面です。
今回の評議員席では富士ゼロックスの小林陽太郎さんのお隣でした。
さて、実際の式は以下の次第に沿って進みました。
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・開式
・学事報告 (常任理事:西村太良)
・学位記授与(塾長:安西祐一郎)
・表彰状授与(塾長:安西祐一郎)
・式辞 (塾長:安西祐一郎)
・塾員代表祝辞(大正製薬・代表取締役社長:上原明)
・在学生総代送辞(看護医療学部3年生)
・卒業生総代答辞(医学部卒業生)
・塾歌斉唱
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今回の卒業式、昨年と違った点が二つ。
まず一つ目は、司会が女性に代わっていたこと。
「総務部の課長」が司会をするのが慣習だったそうなのですが、現在の総務部の課長さん(♂)が「他の課員にもしてほしい」ということで、その座を譲ったようです。
そしてもう一つ。
これは非常に残念に思ったことなのですが、開式後、学位記授与の前まで、会場が静かにならなかったことです。
学事報告はざわついたままでの報告となり、学位記授与の前に塾長が一言「お小言」を言ってようやく静かになりました。
ついこの前まで「卒業生」側だった身としては、仲間と話したい気持ちも分からないわけではないですが、何と言っても「式」ですから。そこは静粛にしないと。
こればかりは、本当に残念に思いました。

(式辞を述べる塾長)

(祝辞を述べる上原社長〈理事・評議員〉)
・会場の様子
《Keio Top News、3月25日付け》
さて、ここまでの卒業式は
どの大学でも同様のことと思います。
ここまでで1時間強。
ここからが、義塾が「大学」ではなく「義塾」である所以です。
卒業式が終了すると、そのまま「年度三田会発足式」に移行するのです!!
その次第はというと、
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・塾旗掲揚
・2008年三田会代表挨拶
・2008年三田会各学部代表紹介
・歓迎の辞
・2008年三田会へ助成金贈呈
・卒業記念寄附目録贈呈
・1983年(昭和58年)三田会寄附目録贈呈・挨拶
・慶應連合三田会実行委員代表紹介
・慶應讃歌斉唱
・塾旗後納
・閉式
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となっています。
この発足式はまず、その年の応援指導部の旗手長によって塾旗が入場・掲揚されるところから始まります。

三田会の連合組織である慶應連合三田会からの歓迎の辞では、服部禮次郎会長に代わって、北里一郎副会長(明治製菓会長)から述べられました。
(服部会長の予定だったのですが、体調がすぐれなかったのでしょうか?)
「1983年(昭和58年)三田会寄附目録贈呈・挨拶」では、この卒業式に列席していた、卒後25年の塾員の皆さんから、3000万円の寄附目録が義塾(塾長)に贈呈されました。
昨年もそうでしたが、相変わらず金額には驚かされます・・・・
明日、28日は大学院の学位授与式です。
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【今日(3月27日)は何の日】
ナポレオンがアミアンの和約を結ぶ(1802)、日本興業銀行設立 (1902)、日本が国際連盟に対し正式に脱退を通告(1933)、インドネシアでスハルトが大統領に就任(1968)
【今日が誕生日】
レントゲン(1845)、清浦奎吾(1850)、カール・マンハイム(1893)、佐藤栄作(1901)、遠藤周作(1923)、梶山静六(1926)
【今日が忌日】
懐良親王(1383)、大塩平八郎(1837)、広瀬武夫(1904)、豊田喜一郎(1952)、ユーリ・ガガーリン(1968)、植木等(2007)
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