2008年05月04日

大阪進出:慶應大阪リバーサイドキャンパス


大阪は、福澤諭吉が誕生した地です。

彼は豊前中津藩に属する士分でしたが、福澤家が中津藩の大坂蔵屋敷にいた時に誕生しました。




昨年12月には、工事のために仮撤去してあった「福澤諭吉誕生地記念碑」の再設置が行われました。

「福澤諭吉誕生地記念碑」の完成記念神事挙行




さて、その大阪の地で、このGWで2つの大きな出来事がありました。


一つは先日もお伝えした「ツール・ド・慶應」の一行が5月3日に通過したこと。

そしてもう一つは「慶應大阪リバーサイドキャンパス」の開設です。


慶応、大阪でキャンパス開き 福沢諭吉生誕の地に
《新聞記事:朝日新聞:5月3日付》


慶応大、大阪の新キャンパスで式典
《新聞記事:産経新聞:5月4日付》




このリバーサイドキャンパスは、つい先日の5月2日に街開きがあった、再開発地域「ほたるまち」の中にあります。

ほたるまち(詳細案内)

ほたるまち(イメージ写真)

ほたるまち(ウィキ)




このリバーサイドキャンパスでは、記念碑の管理ほか、サテライトキャンパスとしての機能も有するものになるとの事です。


そして、このリバーサイドキャンパスでは、開設を記念してさっそくシンポジウム(しかも3日間連続)で開かれています。

その名も
「中之島ソーシャルリバーフォーラム2008」
です。

3、4、5日の3日間で様々な角度からの話が聞けるようです。


【プログラム】 ─────────────────

■総合司会
 鈴木寛(元慶應義塾大学助教授 中央大学教授 参議院議員)

■5月3日土曜日 <大学の未来> 〜中之島発学長サミット〜
 第一部 『日本の大学はどこへ行くのか?』(13:00〜15:00)
     (現代日本における大学の使命と未来)
  司会:鈴木寛(元慶應義塾大学助教授 中央大学教授 参議院議員)
  塩川正十郎(元財務相 東洋大学総長)
  安西祐一郎(慶應義塾長) 
  杉原左右一(関西学院大学学長)
  高阪 薫(甲南大学学長)など

 第二部 『平成に生きる適塾・懐徳堂のこころ』(15:30〜17:00)
     (教育のかたちと現代についての再考)
  司会:井野瀬久美恵(甲南大学教授 学長補佐)
  鷲田清一(大阪大学総長)
  河田聡(大阪大学教授)
  鈴木寛(元慶應義塾大学助教授 中央大学教授 参議院議員)
  本間政雄(立命館副総長)など

■5月4日(日曜日) <都市の未来> 〜優しさが息づく街を目指して〜

 第一部 基調講演 『負ける建築の思想と実践』(13:00〜14:00)
   隈研吾(建築家)

 第二部 『大阪を元気にする街づくり・私の提言』(14:30〜16:30)
   橋爪紳也(大阪府立大学教授 大阪市立大学特任教授)
   篠ア由紀子(株式会社 都市生活研究所代表取締役社長)…コーディネイター
   岩田弘三(株式会社ロック・フィールド代表取締役社長)
   塚本邦彦(大阪芸術大学理事長)
   山口洋典(浄土宗應典院主幹)
   藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)など

 ※NPO法人 中之島SORIA【申請中】 お披露目懇親会 (17:00〜19:00)

■5月5日(月曜日) <メディアの未来> 〜ジャーナリスト精神復活の為に〜
 第一部 『メディアの改革・私の提言』(13:00〜14:30)
  田原総一朗(ジャーナリスト)
  手嶋龍一(外交ジャーナリスト)
  山田厚史(朝日新聞シニアライター)
  徳山喜雄(朝日新聞写真センター・記者)など

 第二部 『受け継がれるジャーナリスト魂』"学生との膝詰め討論"(15:00〜17:00)
  今回のイベントでは、大阪の適塾・懐徳堂の知恵に学ぶことが重要なテーマ。
  中之島で創刊され、来年創刊130周年を迎える、わが国を代表する新聞社の一つ
  "朝日新聞"のOBで往年の名記者たち、たとえば柴田俊治氏、山田厚史氏などとメディア志望の現役学生との討論がこの趣旨に沿った企画。
   柴田俊治(元朝日新聞編集局長)
   山田厚史(朝日新聞シニアライター)
   徳山喜雄(朝日新聞写真センター・記者)など

 ※中之島ソーシャルリバーフォーラム2008 関係者打上げ(17:30〜19:00)

【プログラム】 ─────────────────




個人的な話で恐縮ですが「藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)」さんは、私の中高の同期です・・・



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11月8日:「創立150年記念式典」まで、あと188日
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posted by Tommy at 23:52| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 慶應義塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
若き血というのは、若いうちにやれるだけのことをやれという意味ですが、君はその本道を行っている。僕は悩みの果ての努力に次ぐ努力で三田文学から出た文芸派の大学文学教師になった。作家であることが条件。でなければ只の学者である。そんな人生観で大阪の草深い河内から慶應義塾にあこがれて大阪を後にしたのが、昭和38年。自由が丘の下宿に着いた日、現天皇と美智子さまの結婚式を白黒テレビでやってた。来年、僕は定年を迎える。早いもんだ。本も30冊は出したか。東北大教官もやった、NY州立大の教師もやった。いまは日本女子大でアメリカ研究を講じている。あっという間だ。大阪に出来た福沢塾か。隔世の感があって、涙がでるよ。君もがんばってくれ。
Posted by 濱野成秋 at 2008年06月21日 18:29
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