2009年03月20日

《塾長選挙》4:プレイバック:平成9(1997)年

さて、今回は塾長選挙プレイバックシリーズ第二回、平成9(1997)年です。

この年は私は大学3年生、だったわけですが、塾長選挙があったことなんて、まったく覚えていません・・・



さて、選挙の様子は以下のとおりです。



まず、ステップ1の「第一次塾長候補」ですが、10部門からのべ20名の候補が推挙されました。


第一次塾長候補氏名(五十音順)
 文学部:小谷津孝明、関場武
 経済学部:飯田裕康、鳥居泰彦
 法学部:筑紫文耀、山田辰雄
 商学部:黒田昌裕、鳥居泰彦(経)
 医学部:猿田享男、鳥居泰彦(経)
 理工学部:安西祐一郎、鳥居泰彦(経)
 総合政策学部:鵜野公郎、鳥居泰彦(経)
 環境情報学部:斎藤信男、鳥居泰彦(経)
 諸学校:鳥居泰彦(経)、山崎元(ス医)
 職員:斎藤勉、鳥居泰彦(経)


この、のべ20名を推挙された数で整理しなおすと、
 8:鳥居泰彦(経)
 1:小谷津孝明(文)、関場武(文)、飯田裕康(経)、筑紫文耀(法)、山田辰雄(法)、黒田昌裕(商)、猿田享男(医)、安西祐一郎(理)、鵜野公郎(総)、斎藤信男(環)、山崎元(ス医)、斎藤勉(職)
となります。


この圧倒的な「現役力」。


ちなみに1となっている方々ですが、

小谷津孝明君は常任理事、関場武君(文)・飯田裕康君(経)・山田辰雄君(法)・黒田昌裕君(商)・猿田享男君(医)・安西祐一郎君(理)・鵜野公郎君(総)・斎藤信男君(環)の8名は現役の学部長という感じですから、イメージとしては現体制維持、ということでしょうか。


この、のべ20名が「塾長候補者推薦委員会」に推挙され、文・経・法・商・医・理工・諸学校・職員が各48名、総・環が各24名(計48名)の432名(票)による投票の結果、以下の3名が「塾長候補者銓衡委員会」に選出されました。


第二次塾長候補(五十音順)
 安西祐一郎(理)、小谷津孝明(文)、鳥居泰彦(経)


そして、この3名から鳥居泰彦君が引き続きの塾長候補として選出され、評議員会で選任されたわけです。



この頃から安西さんが第二次候補に名前が挙がっていたというのが印象的です。




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今日は久しぶりにレインボーブリッジを歩いて渡りました。
ちょっとまだ早かったらしく、寒かったです・・・

ちなみに写真は芝浦側からお台場側へ向かって順に。

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2009年03月15日

《塾長選挙》3:プレイバック:平成5(1993)年

これから過去4回の塾長選挙について振り返ってみたいと思います。



まずは平成5(1993)年。



結論を先に言ってしまうと、この選挙によってそれまで四期16年という長期にわたり塾長を務められた故・石川忠雄君から鳥居泰彦君への交代があった選挙でした。




まずステップ1)の「第一次塾長候補」ですが、各部門から以下の延べ20名が推挙されました。
名前の後にカッコ書きで学部名が書いてある方は、当該部門以外の方が推挙されている場合で、カッコ書きで所属学部を記載しています。


第一次塾長候補氏名(五十音順)
 文学部:大島通義(経)、小谷津孝明
 経済学部:大島通義、鳥居泰彦
 法学部:石川忠雄、堀江堪
 商学部:田村茂、藤井彌太郎
 医学部:石川忠雄(法)、植村恭夫
 理工学部:有賀一郎、加藤寛(総)
 総合政策学部:石川忠雄(法)、加藤寛
 環境情報学部:相磯秀夫、石川忠雄(法)
 諸学校:石川忠雄(法)、加藤寛(総)
 職員:石川忠雄(法)、植村恭夫(医)


これを、個人別に推挙された部門数で並べ直してみると以下のようになります。

のべ20名:
 6:石川忠雄(法)
 3:加藤寛(総)
 2:植村恭夫(医)
 2:大島通義(経)
 1:小谷津孝明(文)、鳥居泰彦(経)、堀江堪(法)、田村茂(商)、藤井彌太郎(商)、有賀一郎(理)、相磯秀夫(環)

数だけでみると、石川塾長が6部門とダントツなわけですが、その中身を見てみるとちょっと様子が変わってきます。
石川塾長を選んだ6部門は「法、医、総、環、諸学校、職員」。「総、環」の2部門はやはり「SFCの生みの親」を選択し、「諸学校、職員」についても現体制の継続、法学部は出身母体、という感じだったのでしょうか。
第2位(3)の加藤寛君の支持は「理、総、諸学校」。第3位(2)の植村恭夫君は医学部と職員。職員については病院と事務を分けずに一部門扱いなので、医学部・病院が安定的に推移した結果でしょう。同率3位(2)の大島通義君は自部門(経)に加えて、文学部からも支持があった様子が見てとれます。


そして、この延べ20名が第一次塾長候補として「塾長候補者推薦委員会」に推挙され、委員会において投票が行われたわけです。


この年はまだ10部門でしたから、文・経・法・商・医・理工・諸学校・職員が各48名、総・環が各24名(計48名)の432名(票)。
そして、この投票の結果、以下の3名が「塾長候補者銓衡委員会」に選出されました。


第二次塾長候補
 石川忠雄(法)、植村恭夫(医)、鳥居泰彦(経)


ポイントは、推薦部門最多の石川塾長が順当に残るとともに、2位だった加藤寛君が消え、推薦部門数1だった鳥居泰彦君が急浮上したところでしょうか。



そして最終的に塾長候補者銓衡委員会において、当時経済学部長であった鳥居泰彦君が塾長候補として選出され、評議員会において塾長に選任されたというわけです。





注)上記の第一次塾長候補者、第二次塾長候補者の並び順は全て五十音順であり、『慶應義塾年鑑』掲載のものと同様です。



3月14日の三田の桜(その2)

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2009年03月10日

《塾長選挙》2:選出方法

先日
《塾長選挙》1:塾長とは
にて、
塾長の権能とその歴史をお話ししましたが、
今日は具体的な選手方法についてお話します。



まず、塾長の選出方法ですが、規定されたもの(しかも皆さんがすぐに目を通せるもの)としては「慶應義塾規約」に、その規定があります。

慶應義塾規約

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第8条(塾長の選任)
@塾長は,(1)評議員のうちから選ばれた者,(2)大学学長及び各学部長,及び(3)その他の慶應義塾関係者のうちから選ばれた者から成る委員会に於て選定された候補者につき,評議員会に於てこれを選任する。
A前項の委員会に関する細則は,理事会及び評議員会に於て定める。この場合の理事会及び評議員会の議決については第5条の規定を準用する。
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2項に議決について「第5条の規定を準用」と書いてあるのは、「理事会及び評議員会に於てそれぞれ全員の3分の2以上の同意を要する」という規定のことです。

さて、この1項で塾長の選考方法が定められているわけですが、ここで規定されているのは
 1:「委員会」において塾長候補を選定する
 2:評議員会が選任する
ということだけです。


しかし、
実はこの「委員会」の構成もさることながら、この「委員会」に塾長候補が挙がるまでにも手続きがあるのです。


実際の塾長選定には
「慶應義塾規約」
だけでなく
「塾長候補者銓衡委員会規則」
ならびに
「塾長候補者推薦委員会規則(塾内申し合わせ)・同細則」
によって定められています。


ちなみに、上記の規約8条でいう「委員会」はこの規定における「塾長候補者銓衡委員会」を指しています。




そしてこの3つの規定によって構成される塾長選出のステップは、以下のとおりです。



ステップ1)
各部門による第一次塾長候補者の選出
12部門(文・経・法・商・医・理・総・環・看・薬学部の各学部、一貫教育校、職員)の各部門から、2名ずつ、第一次塾長候補者を選出
<塾長候補者推薦委員会規則:第5条>



ステップ2)
塾長候補者推薦委員会による第二次塾長候補者3名の選出
上記12部門から選出された委員450名によって、第1回投票(三名完全連記)で候補5名を、第2回投票(三名以内の連記または単記)で候補3名を選出
<塾長候補者推薦委員会規則:第6条&同細則>



ステップ3)
塾長候補者銓衡委員会による塾長候補者1名の選定
<塾長候補者銓衡委員会規則:第4条>



ステップ4)
評議員会による塾長の選任
<慶應義塾規約:第8条>




上記ステップを見ていただければ分かるかと思いますが、手続き的にも意味的にも、最も重いのは「ステップ2」部分ではないでしょうか?

ここは、各学部から選出された推薦委員会の委員が、第一次候補に対して票を投じるという、いわば「代議員制」を採用している選出形態になっています。






ステップを順に見てみることにしましょう。


まずステップ1ですが、ここについては塾長候補推薦委員会が、各部門に対して、第一次塾長候補をそれぞれ2名選出するよう、依頼する形になっています。

「推薦委員会規則」によると、
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第5条
1項
委員会は、大学各学部およびその他の部門に対して次の区分に従い第一次塾長候補者各二名の推挙を求める。
 1 文学部
 2 経済学部
 3 法学部
 4 商学部
 5 医学部
 6 理工学部
 7 総合政策学部
 8 環境情報学部
 9 看護医療学部
 10 薬学部
 11 一貫教育校
 12 職員
2項
第一次塾長候補者を選出しようとするときは、次の方式による。
 1 文・経済・法・商・医・理工・総合政策・環境情報・看護医療・薬の大学各学部は、各学部ごとに専任の教員により各2名を選出する。
 2 高等学校、志木高等学校、女子高等学校、湘南藤沢中等部・高等部、普通部、中等部および幼稚舎は、専任の教諭により2名を選出する。
 3 職員は、専任の職員により2名を選出する。
----------
となっています。

各部門の中でどのように選出するかについては規定がないことから、そのやり方はどうやら各学部・部門に任せられているようですが、特徴としては、一種の予備選挙になっているということでしょうか。(職員枠は、事務職員と病院職員が同じ枠なので、相対的に病院側の力が強いような気がします)




次にステップ2。

ここについて「推薦委員会規則」では、
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第6条
委員会は、前条により推挙された第一次塾長候補者の中から3名の第二次塾長候補者を投票により選出する。その投票方法は、別に定めるところによる。
----------
とされているだけで、具体的な投票方法は「細則」に定められています。

このステップ2のポイントは投票方法もさることながら、この委員会の構成にあります。

この委員会は「推薦委員会規則」において
----------
第2条
委員会は次の者をもって構成する。
 1 文・経済・法・商・医・理工の各学部から選出された学部長を含むその学部の専任の教員各48名(計288名)
 2 総合政策・環境情報・看護医療の各学部から選出された学部長を含むその学部の専任の教員各18・18・12名(計48名)
 3 薬学部から選出された学部長を含むその学部の専任の教員各18名
 4 大学以外の学校長のうちから互選された者1名を含む、高等学校、志木高等学校、女子高等学校、湘南藤沢中等部・高等部、普通部、中等部および幼稚舎の専任の教諭の互選による者 48名
 5 塾監局長を含む専任の職員から選出された者 48名
----------
ということで、今回は薬学部分の18名が増えて、全450名の委員会となっており、この各学部から選出されたいわば「代議員」が、第一次塾長候補者を3名まで絞り込み、塾長候補者銓衡委員会に第二次塾長候補者として推薦することになるのです。




そして、ステップ3。

この塾長候補者銓衡委員会による塾長候補者1名の選定は、塾長候補者銓衡委員会規則の第2条で定められたメンバーによって行われます。
具体的なメンバーは、
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第2条
2項 委員会は次に掲げる委員を以て構成する
 1 評議員会議長 1名
 2 評議員会に於いて互選された者(規約第19条第2項第1号の評議員を除き、本条第2項第3号から第7号の合計数と同数とする) 13名
 3 嘗て塾長たりし者 1名
 4 大学学長 ただし現に塾長たる者は除く 0名
 5 大学各学部長 10名
 6 大学以外の学校の校長のうちから互選された者 1名
 7 部長以上の職員のうちから互選された者 1名
----------
となっており、評議員でも「教職員評議員」は除かれているので、この委員会は、その過半数が塾外のメンバーによって構成される形となっています。

この場において3名の第二次塾長候補者は、1名の塾長候補者に絞りこまれ、評議員会に推薦されます。




そして、最後のステップ4。

このブログの冒頭に書いたように、評議員会の3分の2以上の同意を以て新しい塾長が選任されます。

この塾長選出の評議員会は通常の評議員会とは別に臨時で4月下旬に開催されることになっており、その場で151年目を迎えた義塾の舵取り役が決まることになります。




今回については、その一端を皆さんにお知らせできるかもしれません。



3月10日の南別館

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2009年03月04日

《塾長選挙》1:塾長とは


さて、義塾には、社中の耳目を集める選挙が二つあります。


ひとつは、私自身がその「有権者」であり「候補者」(そして、偶然にも当選・・・)である「評議員選挙」。

もう一つが「塾長選挙」です。



評議員、塾長ともに任期は四年となっていますが、就任の時期がずれており、直近では、塾長選挙が今年2009年、評議員選挙が来年2010年に予定されています。



それぞれ「義塾社中の耳目を集める」と書きましたが、実際には広く世の中一般の耳目を集めているようで・・・



ということで、その塾長選挙の仕組みや実像について、皆さんに情報提供ができればと思い、これから2ヶ月の間(新塾長が決まるまでの間を予定)、不定期でお送りしようと思います。


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ということで、まず初回は「そもそも塾長ってどんな役割なのか」について。



塾長の権能については「慶應義塾規約」という、私立学校法で定められた「寄附行為」に定められています。


慶應義塾規約

規約第7条(塾長の地位,職務権限)
@ 塾長は慶應義塾の理事長とし,慶應義塾大学学長を兼ねる。但し,塾長が学長を辞退したときは,別に大学に於てこれを選任する。
A 塾長は,この規約並びに理事会及び評議員会決議に基き,一切の塾務を総理し,且つ塾務全般につき慶應義塾を代表する。


以上のように、一項に地位が、二項に職務権限が規定されています。


この規約上の地位と職務権限が定まったのは、『慶應義塾史事典』5ページ「塾長」の項によると、昭和25(1950)年10月に新制大学に移行するに際しての規約改正時だそうです。



ということで、現在は塾務全般について義塾を代表する、文字通り「義塾の顔、塾の長(おさ)」となり、今に至っています。


現在では、「学校法人慶應義塾」の理事長であり「慶應義塾大学」の学長であることは自明として、このほかにも義塾内組織である「総合研究推進機構」「デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構」の機構長も塾長の役割となっています。


組織図(2008年10月1日現在)





塾長に関する規定が成文化された明治14(1881)年以降、現任の安西塾長まで16名が選任されています。

歴代の塾長




しかし、この塾長、実は開塾当初は、今とは違う役回りだったそうです。
開塾当初は「塾生の代表として塾務を総括した者」のことを、塾長もしくは塾頭といったらしいのです。

その後、明治14(1881)年1月に「慶應義塾仮憲法」が制定された際に初めて、成文化された「塾長」が現れるのですが、これについても「理事委員会が現職教員から選んだ者で、教員の代表として社頭とともに塾務を担う」とされており、塾務の統括については、理事委員会と、その委員会の互選で選ばれた社頭が担うという形だったとのことです。(社頭は福澤先生)

その後、本格的に塾長が「義塾の顔」になっていったのは、明治22(1889)年8月に制定された「慶應義塾規約」からです。
ここで「評議員会の議長を兼ね、一切の塾務を総理する者」と規定され、この地位が多少の変更(評議員会の議長は兼ねない等)はありながらも、今に至っているということになります。



この明治22(1889)年から今年で120年。



塾長によって多少の色はあるのでしょうが、文字通り、慶應義塾という結社/社中の代表者として、塾長は、義塾のみならず日本の教育・文化に少なからぬ影響を与える地位と言えるでしょう。





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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと226日
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2009年02月04日

【報告】0203:雪池忌2009(天候:晴)


1週間前に宣言しましたとおり、2月3日、行ってまいりました、恒例のお墓参り。


2月3日は、雪池忌、塾祖・福澤諭吉の祥月命日です。



「未来をひらく福澤諭吉展」で知ったのですが、お亡くなりになったのは22時50分ごろだったようです。
(福澤展に入場したすぐのところ(左側)に病床記録が展示してあります)




この日にお墓参りに向かうのは、通算14回目。



既に「行かないと、気分が落ち着かない」レベルに到達していまいました・・・




最初にお参りした(96年2月3日)のは、かなり偶然だったはずです。

96年2月3日は土曜日で、おそらく(記憶が正しければ)、新聞研究所の修了論文発表会(修了する4年生が修了論文を現役生向けに発表する会)と入所手続きが三田であり、それに出るために三田に行き、その「ついで」にお墓参りもしたというのが真相だったか、と。


これで終わるのがフツーなわけですが、ここで終わらなかったんです。

その理由は、語学を一年生で落としたから(苦笑)。


政治学科は「どれでも良いから30単位」で進級できる学科だったので二年生には進級したものの、語学はやり直しになったんです。




そこで、「お墓参りすると落第しない」伝説が登場です。


以来、毎年のようにお墓参りすることに。


そして、無事四年で卒業!!!!(四年まで日吉には通いましたが)。




こうなると、足を向けては眠れない。いや、お参りしないと落ち着かないようになってしまったというわけです。



今となっては初詣と同じ扱いです(照)。



ということで、今年も朝九時ごろに行ってきました。


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善福寺遠景(後ろに元麻布ヒルズ)


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善福寺山門



テントが出るのは朝8時から夕方5時までのようですが、朝9時はまだ比較的訪れる人も多くなく、比較的ゆっくりとお参り(報告)が出来ました。



混雑時は、この通り。

義塾公式サイト:福澤先生ご命日、雪池忌

福澤展のツボ:本日は福澤諭吉の命日「雪池忌」





昨年は、文字通りの雪模様でしたが、今回はやや温かく、春の訪れ(翌日2月4日が立春)を感じる日和でした。





一昨年のブログ:2007年02月03日:連続12回目

昨年のブログ:2008年02月03日:【報告】0203:雪池忌2008(天候:雪)




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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと253日
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2009年02月02日

南別館(1月末現在)@三田



昨日のブログで書いた「福澤諭吉記念文明塾」は、創立150年記念事業の中での位置付けは「三田キャンパス」での展開事業と位置づけられています。


創立150年について>三田キャンパス>福澤諭吉記念文明塾の拠点として



これともう一つ「現在進行形」で三田で進んでいるのが、南別館(仮称)の建設です。


創立150年について>三田キャンパス>南別館(仮称)建設


この南別館は、三田キャンパスにおける最大の事業である「南校舎建て替え」に備え、当面の代替教室確保のために建設される建物です。

場所は、正門から横断歩道を渡った正面。

昔、駐車場になっていたところです。



さてさて、この南別館、順調に立ち上がってきているようです。



昨年10月時点では「骨組みだけ」だったのですが、

ブログ:2008年10月12日付け「【報告】0927:「藤原洋記念ホール」開設記念柿落としイベント(上)」

この当時の南別館



既に外側は出来上がったようです。


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1月末の南別館



この南別館、今年4月から使い始めるという話なので、そろそろ工事も追い込みですね。




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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと255日
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2009年02月01日

【報告】0124:福澤諭吉記念文明塾の1期生募集説明会


福澤諭吉記念文明塾(以下、文明塾)をご存知ですか?



文明塾は、創立150年記念事業の一つとして今年4月から本格稼働する教育プログラムです。


通常の学部や大学院とは違った、新しい試みです。



「福澤諭吉記念文明塾」公式サイト



文明塾の理念は、
 ・私塾の原点に還る
 ・学生が社会人がともに学ぶ
 ・「社中協力」による運営
となっています。



詳しくはサイトのほうで確認いただければと思いますが、木曜日の夜と土曜日に、学生と社会人が「席を並べて」、主体的に対話・議論をすることを、基本的なスタイルとしています。



実は、この文明塾、昨年2008年に「先行プログラム」を試験的に実施し、その進め方などを確認していました。

「先行プログラム」の際は、一般に募集などはせず、各学部・大学院の推薦や、各企業からの推薦をもとに受講生を集めて実施していました。



で、これを土台にして、いよいよこの4月から本格プログラムを始動することとなり、「第1期生」の募集に関する説明会&募集受付が現在行われています。

説明会の日程は
 1月15日(木)18時〜19時:三田キャンパス421教室
 1月19日(月)18時30分〜19時30分:三田キャンパス421教室
 1月24日(土)16時〜17時:三田キャンパス104教室
 2月2日(月)19時〜20時:三田キャンパス311教室
 2月7日(土)16時〜17時:三田キャンパス南館2B42
となっています。



このうち、1月24日の説明会に参加してきました。
(この日はお昼は、連三田の同期キックオフ・・・)



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南校舎上がって正面に出ていた案内


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第一校舎入口の案内



この日の参加者は50名ほど。


学生8割、社会人2割、といった感じだったでしょうか。
(私より確実に年上と分かる方も何名かいらっしゃいました)



説明会自体は、
 ・あいさつ
 ・紹介ビデオ上映
 ・プログラムおよび選考についての説明
 ・質疑応答
という形で進んでいきました。


説明には、文明塾のプログラムディレクター?をしている、法学部の田村次朗教授もいらっしゃっていました。(やはり10年も経つと、年齢を感じますね)


質疑応答も、結構色々質問が出ていまして、学生からは「社会人と一緒に学ぶということのメリット・デメリットはどのようなものか」「受講におけるプログラム時間外の負担の程度」、また社会人からは「選考にあたっての年齢制限の有無」や「提出物・成果に対するフィードバックの有無」などが出されていました。

質疑応答の雰囲気からすると、皆さん、結構「やる気」のようです。


そもそも、説明会に(しかも土曜の夕方なんかに)来ている時点で、「やる気」は満ち溢れているような気もしますが・・・・




さてさて、私も一期生に出願しようかな、と思っていたのですが、ちょっと障害が。



開講スケジュールを見て、ガッカリ。


開講スケジュール


開講、木曜の夜と土曜なんです。


これの何が問題かと言えば、連三田の諸会合にモロカブリになる可能性が大なんです。


既に木曜日は連三田・福引部会の定例会議日で、定例が月1回とはいえ、木曜日の出席率がこれで四分の三になってしまいますし、土曜日のほうも、この後、諸行事が入ってくる可能性(同期の大同窓会も含め)もあるので、これまた「出席しきる」のが困難・・・


そもそもこの文明塾、出席そのものと、出席した上での「貢献(contribution)」が修了の要件になるらしいので、そうなってくると、今年は現実無理だな、と。

「自我作古」なタイプとしては「一期」というだけでかなり魅力だったのですが、残念。
(東大の大学経営政策コースも一期でしたし)




とはいえ、ちょうど出願期間に入ったところなので、ご興味もたれた方は、ぜひ、いかがですか?

説明会も2月2日と7日に、あと2回ありますし。


出願について(〜2月17日。締切日消印有効)

募集要項および出願書類




なお、出願書類の中には「志願者を客観的に知る立場にある方に評価」を依頼する必要がある「評価書」が最低1通必要なので、早めの準備をお勧めします。





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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと256日
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2009年01月27日

【予定】0203:雪池忌


1週間後の2月3日は「雪池忌」です。

読めますか?

「ゆきちき」です。


塾祖・福澤諭吉は「独立自尊迎新世紀」と書いた、1900(明治33)年の大晦日の約1ヶ月後、1月25日に脳出血で倒れ、1901(明治34)年2月3日22時50分に、三田の山の自邸にてお亡くなりになりました。



ちなみに、この最後の日の福澤先生の病床の模様(体温の推移)を記した病床記録が、現在上野で開催されている「未来をひらく福澤諭吉展」の、入ってすぐ左側(股引の奥)に置かれています。


未来をひらく福澤諭吉展(公式サイト、要Flash)
未来をひらく福澤諭吉展(国立博物館)



2月3日に亡くなられた先生は、そのあと、上大崎の常光寺に葬られ、1977(昭和52)年に、現在の麻布十番の善福寺に改葬されました。


上大崎:常光寺「福澤諭吉先生永眠之地」

麻布十番:善福寺



2月3日の当日は、朝8時から夕方5時までテントが張られ、記帳台とお線香が置かれます。



今年行くと、通算14回目です。






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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと261日
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2009年01月17日

【報告】0110:第174回福澤先生誕生記念会並びに新年名刺交換会

先週の土曜日、1月10日は「第174回福澤先生誕生記念会」でした。


福澤先生は、陰暦の天保5年12月12日、陽暦に換算しなおすと1835年1月10日生まれであるため、この日に毎年誕生記念会を催しています。




ちなみにこの日は休校(休講)です。
(ですから、学生の時はこの日が平日であってくれることを願い、かつ正月休みが一日増えたことを喜んだものでした・・・)


今や逆に、平日か休日かを問わず、三田に向かう日になりました。
(しかも今年は土曜日。ということは、来年は日曜日・・・)


変われば変わるもんですね。




記念会そのものは10時半から開始だったわけですが、10時を過ぎたあたりから、徐々に集まり始めました。

090110_01.jpg
(西校舎に入る人たち)


さすがは土曜日、早い時間から西校舎ホールも埋まっていました。


090110_02.jpg
(開始前の西校舎ホール)


あとから聞いた話によると、この日は西校舎ホールでは参加者を収容しきれず、向い側の階段教室(519番教室)も開放したとのことでした。



さて、10時半になり、記念会の開始です。

記念会の式次第は、
 1:開会
 2:「福澤諭吉ここに在り」合唱 幼稚舎生
 3:「日本の誇」合唱 ワグネル・ソサィエティー
 4:年頭挨拶 塾長 安西 祐一郎
 5:記念講演「福澤先生と北里柴三郎」
   本塾理事・評議員、慶應義塾連合三田会副会長、明治製菓轄ナ高顧問 北里 一郎 君
 6:福澤家代表挨拶 福澤 信雄 君
 7:小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト表彰状授与
 8:塾歌斉唱
 9:閉会
というふうに進みました。


まずは、幼稚舎生による「福澤諭吉ここに在り」の合唱から。

090110_03.jpg
(合唱する幼稚舎生)

この「福澤諭吉ここに在り」は、上野の山で彰義隊による戦いがあった際にも義塾で講義をしていたことを歌詞にした曲です。



続いてワグネル・ソサィエティー男声合唱団による「日本の誇」の合唱。

090110_04.jpg
(合唱するワグネル)

こちらは創立百年の際に作られた曲のようで、曲の中に三田・四谷(信濃町)・日吉が読み込まれています。



ひととおり合唱が終わったあとは、塾長による年頭挨拶です。

090110_05.jpg
(挨拶を述べる塾長)

これが、とても長かったんです。


仕方がない部分はあります。
なんといっても、この「年頭挨拶」で昨年一年間の総括、各学部の状況、今年の展望をすべて話しきろうとしているんですから。
しかも去年は創立150年の各種イベントが目白押しだったわけで、報告することもテンコ盛り。


そして結局、年頭挨拶は30分超のロングスピーチに。


塾長というお仕事も大変です。しゃべり続けるほうも相当に大変だったはずです。


さてさて、その次に控えていたのは、年頭の記念講演でした。
昨年は産経新聞の清原会長でしたが、今年は北里一郎君からの「福澤先生と北里柴三郎」と題しての講演でした。
北里君は、柴三郎さんのお孫さんで、現在、理事・評議員、慶應義塾連合三田会副会長、明治製菓・最高顧問のお立場です。


この講演ですが、

いやー、楽しかった。

この手の講演で、会場に「笑い」が起きることは少ないと思うのですが、
今回は、まさにそれが起こりました。

笑いのポイントそのものは、世の中一般と一緒というよりは慶應的だったかもしれませんが、なかなかツボを付いた講演でした。


090110_06.jpg
(柴三郎の誕生記念会での演説文を見せる北里君)


一郎さん、柴三郎さんとソックリなんだそうです。(本人自らおっしゃっていました)

それも、似ているポイントが「絶壁(後頭部)」「なで肩」「偏平足」だそうで(苦笑)


090110_07.jpg
(左:福澤先生、右:北里柴三郎さん)


090110_08.jpg
(画面右:晩年の散歩姿の福澤先生)


柴三郎さんは、福澤先生に様々な面での援助・助言を得たそうで、それへの恩義が義塾医学部初代学部長を引き受けるということにつながっていたそうです。


ここで、面白い話を一つ。


医学部設立の際に、義塾から「評議員会で、柴三郎さんが学部長を引き受けてくれるのなら医学部を、引き受けてくれないのであれば理工学部を設置するということで決したのですが、どうされますか」という打診があったようです。
その打診に対して、柴三郎さんは即座に「お引き受けしましょう」ということになったそうです。


090110_09.jpg
(画面右:医学部指針「独立不羈」)

090110_10.jpg
(画面右上:柴三郎・書「終始一貫」)


北里君による講演が、好評のうちに終わった後、福澤家代表として、捨次郎さんのお孫(長男)である、福澤信雄君からの挨拶がありました。

090110_11.jpg
(挨拶を述べる福澤君)

昨年までは、一太郎さんのお孫さんである範一郎君だったのですが、昨年の創立150年記念式典から、福澤家代表が信雄君に変わっています。
(ちなみに評議員会議長の福澤武君は、信雄君の弟(二男)なんだそうです)



最後に塾歌を(一番だけ)全員で斉唱し、12時半ちかくになってようやく誕生記念会が終了しました。





このあとは、場所を西校舎学生食堂ホールへ移しての「新年名刺交換会」となりました。

さすがに土曜日、まさに「立錐の余地もない」人出でした。


090110_12.jpg
(ごった返す食堂ホール)


この新年名刺交換会、確かに名刺を交換することが「主目的」ではありますが、賀詞交換ということで、新年最初のご挨拶の場になっています。

私も塾の関係者はいわずもがな、各三田会でお世話になっている大先輩の皆様方にもご挨拶することができる機会になっています。


090110_13.jpg
(正面に鎮座する鏡餅)



結局、終了は14時近く。

いやー、長かった。


とはいえ、福澤先生と北里柴三郎さんの浅はかならぬ関係をお孫さんから直接(しかもユーモアを交えて)お聞きできたこともあり、時間に値するだけの会でした。



来年の1月10日、いかがですか?



来年は日曜日ですし。



090110_14.jpg
(正門前に建設中の南別館)

090110_15.jpg
(信号で振り返っての正門&南校舎)






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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと271日
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2009年01月13日

【出席】評議員会&創立150年記念事業委員会


1週間後、来週の火曜日は、評議員会と創立150年記念事業委員会の開催日です。



既に何名かの理事や評議員の方々には、1月9日の福澤諭吉展の内覧会&オープニングレセプションや、1月10日の誕生記念会でお会いしていますが、一同に会するのは今年初めてになります。



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2009年01月10日

【報告】0109:「未来をひらく福澤諭吉展」特別内覧会・オープニングレセプション

行って参りました、国立博物館。


初めての夜の上野公園界隈。


雨が降っていたこともあり、「冷たい、寒い、暗い」。


とはいえ、早足で国立博物館へ。



入口で招待状のチェックを受け(博物館の係に呼び止められて、バッグから招待状を出そうとしていたら、義塾の職員さんが近づいてきてくれて「この方、大丈夫ですから」って言ってくれました。おかげでスグに通過できました〜)


さて、そして敷地を進んでいくと、そこには

090109_01_wall.jpg

巨大な福澤先生が・・・


表慶館の全景はこんな感じ。

090109_02_all.jpg



さて、今日は「内覧会」が17時半から20時まで、「オープニングレセプション」が18時から20時までだったのですが、私が国立博物館に着いたのは18時。

と、いうことで、表慶館前で受付だけをして、レセプション会場の平成館のほうへと移動。




平成館では既にレセプションが始まっておりました。

寒い場所から急に暖かい場所に入ってメガネが曇って前が見にくくなりながらも、そそくさと会場へ。

入口近辺は非常に混んでいたので、奥のほうへスルスルと移動(というか、職員さんに「奥のほうが空いているんで、そちらのほうへどうぞ」とアドバイスをいただきました)


既に挨拶は、塾長が終わりかけ。
(この前にも誰かが話していたようですが)

090109_03_recep1.jpg


続いての挨拶は、産経新聞の清原会長。(評議員でもあられます)



その後は、ご臨席賜った高円宮妃久子様からのお言葉。

090109_04_recep2.jpg



(高円宮妃殿下の内覧会での様子は、既に記事になっていました)

「未来をひらく福澤諭吉展」10日開幕 高円宮妃久子さま内覧会ご見学




そして乾杯の発声は、評議員会議長(にして曾孫)の福澤武君。

090109_05_recep3.jpg


レセプションでは、明日の誕生記念会を前にして「今年初めて」お会いする方が多く、しばらく挨拶まわりを。



ある程度、回り終えたところで、レセプション会場を退場。
今日の目的であるところの、内覧会へ移動。



090109_06_ent.jpg
(表慶館入口)



入口を入ると、すぐそこで福澤先生に正座で出迎えていただきました。


090109_07_yukichi.jpg


そして、ふっと上を見あげると垂れ幕がドーンっと。

090109_08_banner1.jpg


私の写真より、以下の写真のほうがキレイです。

福澤展のツボ「2009 01/ 8:会場準備終了」




会場の中の様子はというと、、、、



ご自身の目で確かめてみてください。


ちなみに一部はこんな感じです。

福澤展のツボ「2009 01/ 7:福澤が嫌った灯台の「再発見」」



ひとつ、皆さんにレコメンド。

音声ガイド、ぜひ借りて聞いてみてください。


音声を担当されているのは、「最後の早慶戦」で小泉塾長役をされ、創立150年記念式典においても司会をされた石坂浩二さんです。


福澤展のツボ「2008 12/27:音声ガイドの収録」


石坂さんの解説は、展示品の説明だけでなく、その意味がより理解しやすいように、流れのある解説でした。
(実は私が音声ガイドを借りたのも、レセプションでお会いした評議員の鈴木忠雄さん(メルシャン特別顧問)に「ぜひガイドを借りて回りなさい」と勧められたからだったんですけど)


お勧めします。


090109_09_banner2.jpg
(2階から見る垂れ幕)


さて、展示会場を回ること1時間余り。
もっとゆっくり見たかったのですが、終了時間の20時が・・・


実は、この福澤展、会場が2つに分かれています。
この第2会場のほうも見に行きたかったので、最後は駆け足気味に第1会場を見学(駆け足だったところは、後日リベンジ予定)



第2会場は、本館の2階。

090109_10_no2.jpg
(会場への案内板)


こちらには何があったかというと、

国宝 釈迦金棺出現図(しゃかきんかんしゅつげんず)

が鎮座ましましてました。

とはいえ、第2会場のほうは、時期によって展示品が大きく変わるようです。
この国宝も1月10日から25日の限定公開のようです。

第2会場展示作品:第7部 たしかめる共感−福澤門下生による美術品コレクション−




国宝級、ということでいえば
「グーテンベルグ聖書」、これも見ものです。

2月1日までの限定公開だそうなので、お早めに。


展示品にどんなものがあるかは、こちらを参考にしてください。

慶應義塾創立150年記念特別展「未来をひらく福澤諭吉展」展示品リスト



あ、そうそう、歴史オタク(特に戦国)の方には、第1会場の第7部がおススメです(苦笑)

第1会場:第7部展示作品リスト




公式サイト:「未来をひらく福澤諭吉展」


ニュース:1月10日:「未来をひらく福澤諭吉展」始まる〜期間限定の名品も公開〜




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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと278日
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2009年01月09日

【出席】0110:第174回福澤先生誕生記念会並びに新年名刺交換会


明日1月10日からは、東京国立博物館・表慶館において「未来をひらく福澤諭吉展」が開催されます。(東京は3月8日まで)


昨日もお話しましたが、1月10日に始まるのは、その日が土曜日、だからではなく、その日が福澤先生の誕生日だからです。



そしてこの1月10には、毎年三田山上において「福澤先生誕生記念会」が開催されています。



「1月10日」という日付指定のイベントであるため、平日にあたってしまうと、都合をつけるのが大変なのですが、今年は土曜日になったため、これはこれで、出席者が多そうで大変そうです・・・



この誕生記念会および、そのあとの新年名刺交換会は塾員のみなさんの参加を期待しているイベントであり、ウェブサイト上でも
「塾員・教職員各位の参加を歓迎します。」
となっています。



内容としては、
10時からの「誕生記念会」が
式次第:
 1:開会
 2:「福澤諭吉ここに在り」合唱 幼稚舎生
 3:「日本の誇」合唱 ワグネル・ソサィエティー
 4:年頭挨拶 塾長 安西 祐一郎
 5:記念講演「福澤先生と北里柴三郎」
   本塾理事・評議員、慶應義塾連合三田会副会長、明治製菓轄ナ高顧問 北里 一郎 君
 6:福澤家代表挨拶 福澤 信雄 君
 7:小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト表彰状授与
 8:塾歌斉唱
 9:閉会
となっています。


また、その後の新年名刺交換会は、西校舎の学生食堂ホールにて開催されます。




お時間がある方は、ぜひどうぞ。(食事もあります)


私も当日、会場におりますので、ぜひご挨拶させていただければと思います。



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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと279日
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2009年01月08日

【出席】0109:「未来をひらく福澤諭吉展」特別内覧会・オープニングレセプション




新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。




卒業10年を迎えた評議員の私にとって、今年最大のイベントは10月18日に開催が予定されている「慶應連合三田会大会」になりそうです。
(現在、ブログ文の一番下で「カウントダウン」しています)

それでなくても「卒業10年」ということで、旧交を温めるイベント等、個別にも積極的に企画していきたいと思っています。



昨日まで「松の内」でしたね。
多くの方は1月5日から出社だったことと思います(私も同じく)。
今年は見事に「普通の9連休」になってしまって、ちょっと「年末年始ボケ」をするには時間が足りなかったみたいです。





さてさて、皆さんご承知の通り、
明後日の1月10日から、東京国立博物館・表慶館において「未来をひらく福澤諭吉展」が開催されます。(東京は3月8日まで)


1月10日に始まるのは、その日が土曜日、だからではありません。


その日が福澤先生の誕生日だからです。(毎年、この日は三田において「福澤先生誕生記念会」が開かれます)



この10日からの開催に先立ち、
明日9日、「特別内覧会」と「オープニングレセプション」が予定されています。


夕方から、国立博物館で、だそうです。


行って参ります。





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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと280日
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2008年12月22日

18私大、有価証券含み損688億円



読売新聞が、まとめたようです。


18私大、有価証券含み損688億円…読売新聞調べ
《新聞記事:読売新聞:12月21日付》



kokokara------

駒沢大など金融取引で多額の損失を出す私立大が相次いでいるが、全国の主な私大18大学が今年3月の決算時に有価証券の含み損を抱えており、その合計額は計688億円に上ることが読売新聞の調べでわかった。

 株価は今年9月中旬の米証券大手「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻(はたん)を引き金に急落しており、多くの大学で含み損はいっそう膨らんでいるとみられる。

 デリバティブ(金融派生商品)取引で154億円の損失を出した駒大では、清算のために東京・世田谷のキャンパスやグラウンドを担保に入れ、金融機関から110億円の融資を受けた。リスクの高い取引で巨額の損失を被った責任を問われ、宮本延雄理事長が18日に開かれた理事会で解任された。南山大などを運営する南山学園と愛知大もそれぞれ34億円、28億円の損失を確定させている。

 読売新聞が取材した全国の32大学のうち、日大や帝京大を除く23大学が有価証券の含み損益を回答したが、このうち18大学は08年3月期に含み損を抱えていた。06年3月期の含み損益を明らかにしなかった駒大以外の17大学で比べると、5大学が含み益から含み損に転落し、10大学が含み損を拡大させている。

 約69億円の含み益から一転して、約225億円の含み損になった慶応大。収入を安定させる目的で株や投資信託、仕組み債などに分散投資しているといい、有価証券の取得額も1250億円と、23大学中で最も多い。広報室では「市場環境の変化で含み損が膨らんだ。長期保有が原則なので、現実の損失にはなっていない」と説明している。

 08年3月期に4億円の含み益を確保した明治大は「電力や鉄道のような安全な社債などで運用した結果」(財務課)とするが、こうしたケースは例外。立正大は内部指針で株への投資を禁止し、投資信託などをすべて円建てにしているが、今年3月期の含み損が96億円に上った。

 12月19日の日経平均株価(8588円)は、3月31日(1万2525円)の70%以下の水準まで落ち込んだ。多くの大学で元本が保証されていない投資信託や為替リスクのある債券を保有しており、損失額が膨らむ可能性がある。

 文部科学省私学部は「慎重な運用をすることが望ましい」としているが、私大の資産運用を規制する法律や通達はない。貸借対照表を一般に公開するルールもなく、財務の透明度アップを求める声も強まりそうだ。


------kokomade


他人の金(税金)を使って仕事をしている人たちに言われてしまうのはやや心外ではありますが、そうは言っても学校法人は過去からの預かり物を将来へ伝えていく非営利の法人ですから、その性質を疑わせてしまうような行動については慎む必要はあるでしょう。


関東の主要な大学を見てみると
 大学名: 08年3月: 06年3月
 慶應義塾: −225.5: 69.6
 立正: −96.6: 0.5
 駒沢: −81.9: 非回答
 千葉工: −69.4: −32.5 
 中央: −39.4: −20.0
 芝浦工: −36.0: −10.3
 専修: −17.1: −10.5
 法政: −8.6: 8.5
 早稲田: −5.4: 21.5
 学習院: −2.2: 3.0
 東洋: −0.1: −1.8
 東海: −0.1: −1.0
 立教: 0.1: −1.1
 明治: 4.5: 1.6
と、2年分を比較しているわけですが、両方ともプラスなのは一番下の明治大学だけ、あとは両方かどちらかが評価含み損を抱えている形になっています。



記事にもありますが、日本大学と帝京大学が回答を寄せなかったそうです。

とはいえ、評価含み損以外の「普通の」開示内容については、既に開示されているようです。

日本大学:財務状況

帝京大学:資産構成・財務状況




もとの運用可能資産が1250億円以上あるとは言っても、さすがに評価含み損が膨らむと心配になります。


とはいえ、これまで義塾では、毎年30億〜50億程度の運用益を上げてきており、これを教育・研究等へ配分しています。


1250億円。
日本では最大規模ですが、ハーバードは運用資産が三兆円を超えます。
ハーバードの損、今、この記事であがっている全評価損額と比較しても、まだ大きかったりします。




今年の150年は、これからの150年への出発の年です。
これからも引き続き、塾が塾たるためには、社中一致協力の精神は不可欠の精神のようです。





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2008年11月22日

【報告】1108:創立150年記念式典(その6・終)式典後「未来先導宣言」

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前
【報告】1108:創立150年記念式典(その2)日吉到着
【報告】1108:創立150年記念式典(その3)式典会場
【報告】1108:創立150年記念式典(その4)式典前プログラム
【報告】1108:創立150年記念式典(その5)式典
の続き。




さて、メインの式典が終了し後は、塾生・塾員による「未来先導宣言」となりました。



まずはプログラムのはじめに応援指導部が登場。


何をするかと思ったら、当日配られてあったブランケットを掲げて、「若き血」を歌いながら、陸上競技場いっぱいに巨大な三色旗を作ろう、と。

私の手元にあったブランケットは青かったのですが、どうやら前方と後方が青で、中間の席が赤いブランケットだったようです。
周りの評議員の皆さんと一緒にブランケットを振るというのは、ちょっと不思議(奇妙?)な体験でした。

1108_06_01.jpg
ブランケットを振る評議員(含む私)


どうやら全体としては、式典直後にトイレに立つか、お帰りになられた方がそれなりにいたらしく、壇上から見ていた石坂君曰く「できていたけど、ちょっとタイミングが悪かったですね」と。



「未来先導宣言」の実際のプログラムは、ここから。


まずは、普通部生徒による「和太鼓演奏」。

1108_06_02.jpg
和太鼓を演奏する普通部生




ここからは、色々な形態で未来へ向けての宣言・メッセージを。




まずはNY学院からのビデオメッセージ。

1108_06_03.jpg
ビデオメッセージ



幼稚舎代表からは、詩の朗読形式で。

1108_06_04.jpg
朗読する幼稚舎生



宇宙飛行士の星出彰彦君(理工学部:1992年卒)からはビデオメッセージで。




普通部、中等部、湘南藤沢中等部の代表は、環境に関するメッセージを。

1108_06_05.jpg
メッセージを読む中学生たち



この春に名誉博士号も授与された、タリサ・ワタナガセ君(経済学研究科:1975年修了、現:タイ中央銀行総裁)からはビデオメッセージで。



高等学校、志木高等学校、女子高等学校、湘南藤沢高等部、ニューヨーク学院(高等部)の代表は、壇上でメッセージを。
(NY学院はビデオメッセージでしたが)

塾高生に対しては「エール(やじ?)」が投げかけられていました・・・

1108_06_06.jpg
壇上に並ぶ高校生たち



小川理子君(理工学部:1986年卒)は、メーカーに勤めつつジャズピアニストという二足の草鞋を履いてらっしゃる方で、大阪会場(リバーフォーラム)からの中継でジャズピアノの演奏を。

1108_06_07.jpg
大阪で演奏する小川君




大学院枠からは、現在画期的な研究をしている名越慈人君(医学研究科博士課程4年)が原稿なしで宣言を。

1108_06_08.jpg
堂々と話す名越君




そして、式典も大団円へ。


應援指導部による「未来へのエール」の掛け声の下、

1108_06_09.jpg
エールを指導する応援部


最後は

会場全員で

肩を組んで

「慶應讃歌」
「若き血」

を腹の底から歌いきりました!


1108_06_10.jpg
斉唱中




これにて日吉での式典は、無事終了。


時間はほぼ15時。



Bブロックからは、協生館横のゲートから市営地下鉄入口(地下)経由で日吉を後にしました。



夕方は、帝国ホテルにて記念パーティです。



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番外

Bブロックの席

1108_06_11.jpg







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2009年10月18日:2009年慶應連合三田会大会まで、あと330日
ただいま、実行委員募集中!
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2008年11月21日

【報告】1108:創立150年記念式典(その5)式典

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前
【報告】1108:創立150年記念式典(その2)日吉到着
【報告】1108:創立150年記念式典(その3)式典会場
【報告】1108:創立150年記念式典(その4)式典前プログラム
の続き。



いよいよメインイベントである「式典」です。


式典の式次第は以下のとおりです。

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登壇者入場
慶應義塾創立150年記念式典ファンファーレ
天皇皇后両陛下御臨席
開式の辞 工藤 教和 常任理事
式辞 安西 祐一郎 塾長
天皇陛下おことば
祝辞
誓いの言葉
「慶應義塾塾歌」斉唱
閉式の辞 工藤 教和 常任理事
天皇皇后両陛下御退席
登壇者退場
------



プログラム(表面)

プログラム(裏面)




では順番に。

1108_05_01.jpg
開式直前のステージ



まず、
開式時間(予定より10分遅れの12時55分ごろ)となり、開式を告げる「丘の上」のオルゴール風チャイムが。

そして、大型画面でお顔とお名前が映されながら、石坂君の紹介(英語で遠藤君が紹介)によって登壇者が入場。


1108_05_02.jpg
一同に会した壇上者



壇上者が皆さんお揃いになったところで「慶應義塾創立150年記念式典ファンファーレ」が高らかに響き渡りました。

塾生ファンファーレ隊は「幼稚舎児童、高等学校生徒、女子高等学校生徒、湘南藤沢中・高等部生徒、ライトミュージックソサエティ、K.M.Pニューサウンドオーケストラ、ウインドアンサンブル」によって
演奏されました。

正面にある協生館の左右から、陸上競技場の左右から&後ろから、と、各所に配置されていたファンファーレ隊が一斉に演奏を。



このファンファーレと同時に、上空に編隊飛行のグライダーが!

グライダーの飛行の様子はこちら(右下)を参照。



この後、天皇皇后両陛下がご登壇されました。




天皇皇后両陛下に日吉キャンパスへの行幸啓をいただいたのは義塾史上、今回が初めてとなります。

創立90年の際には三田へ天皇陛下に、創立100年のときは日吉へ天皇陛下に行幸いただいたことがありました。
また今年6月には三田で開催された天皇陛下の教育係(東宮教育参与)であった小泉信三元塾長の「小泉信三展」ご観覧のために両陛下の行幸啓いただいたことがありました。



壇上者が皆さんお揃いになったところで、いよいよ開式です。



開式の時は、創立150年記念事業担当の工藤常任理事から。


1108_05_05.jpg
開式の辞を述べる工藤常任理事



続いて、安西塾長からの式辞


1108_05_07.jpg
式辞を述べる塾長


塾長式辞


1108_05_06.jpg
壇上者。白髪の福澤評議員会議長から左に
鳥居泰彦・学事顧問(前塾長)
服部禮次郎・慶應連合三田会会長
西村太良・常任理事(学事担当)
工藤教和・常任理事(創立150年記念事業担当)
森征一・常任理事(総務担当)




安西塾長からの式辞の次は天皇陛下のおことばを頂戴しました。
後から聞いたところによると、天皇陛下は今回のおことばを述べられるにあたり、自ら幕末からの歴史をお調べになったとのことでした。



天皇陛下のおことば@宮内庁




ここからは祝辞です。
当初、この「祝辞」部分はかなり人数が多かったようなのですが、式典全体の構成等も踏まえ、最終的には「厳選」されたようです。

 白井 克彦 早稲田大学総長
 ピーター・マサイアス ケンブリッジ大学総長代理
 金 漢中 延世大学総長
 王 生洪 復旦大学学長
 エリザベス・J・ペリー ハーバード大学総長指名代表者
 福澤 武 評議員会議長


1108_05_10.jpg
白井克彦:早稲田大学総長1

白井克彦:早稲田大学総長:祝辞

1108_05_11.jpg
白井克彦:早稲田大学総長2



1108_05_12.jpg
ピーター・マサイアス:ケンブリッジ大学総長代理1

アリソン・リチャード:ケンブリッジ大学総長:祝辞

1108_05_13.jpg
ピーター・マサイアス:ケンブリッジ大学総長代理2



1108_05_14.jpg
金漢中:延世大学総長1

金漢中:延世大学総長:祝辞

1108_05_15.jpg
金漢中:延世大学総長2



1108_05_16.jpg
王生洪:復旦大学学長1

王生洪:復旦大学学長:祝辞

1108_05_17.jpg
王生洪:復旦大学学長2



1108_05_18.jpg
エリザベス・J・ペリー:ハーバード大学総長指名代表者1

ドゥルー・ギルピン・ファウスト:ハーバード大学総長:祝辞

1108_05_19.jpg
エリザベス・J・ペリー:ハーバード大学総長指名代表者2



1108_05_20.jpg
福澤武:評議員会議長1

1108_05_21.jpg
福澤武:評議員会議長2



祝辞の後は「誓いの言葉」を現役塾生から。

1108_05_22.jpg
相澤宏輔君:経済学部4年

1108_05_23.jpg
新井麻衣君:環境情報学部4年



そして最後は、全員で起立しての塾歌斉唱。
3番までのフルコーラス。
ここまでの人数で塾歌を合唱することは、二度とないかもしれません。
あるとしたら175年か200年の時でしょうか(苦笑)。

塾歌(スピーチ集:最終ページ)




塾歌斉唱の後、工藤常任理事による閉式の辞。

1108_05_24.jpg
閉式の辞を述べる工藤常任理事


ここで天皇皇后両陛下は御退席です。





両陛下の後を追い、壇上者の方も退場されました。


1108_05_29.jpg
退場される壇上者
写真正面が河野衆議院議長
河野議長から二人おいて江田参議院議長





ここで正式な式典は終了。

ここから先は塾員・塾生の時間となります。




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2008年11月20日

【報告】1108:創立150年記念式典(その4)式典前プログラム

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前
【報告】1108:創立150年記念式典(その2)日吉到着
【報告】1108:創立150年記念式典(その3)式典会場
の続き。




いよいよ式典のスタートです。



式典ですが具体的には
 「式典前プログラム」
 「式典」
 「未来先導宣言」
という三部構成になっていまして、


まずは11時50分から、式典前プログラムの前座としてワグネル・ソサィエティー・オーケストラによる「大学祝典序曲EX」の演奏が行われました。



ここからが「式典前プログラム」のスタートです。


まず初めに登場したのが、今日の司会進行役のお二人。
1966年法学部(法律)卒業の石坂浩二君と2005年経済学部卒業の遠藤玲子君でした。

1108_04_01.jpg
司会のお二人

1108_04_02.jpg
石坂君のネクタイは、さすがのBRB



式典前プログラムは
 ・オープニング
 ・各会場からの中継
 ・日本の近代化150年と慶應義塾社中の絆
    體育會自転車競技倶楽部、ワンダーフォーゲル部
 ・「慶應義塾創立150年記念切手」贈呈式
 ・「慶應義塾祝典曲」演奏
 ・創立150年記念事業の紹介
という流れで進んでいきました。



まずは司会の自己紹介とMCトークが多少あった後で、各会場を結んでの中継。


1108_04_03.jpg
MCトーク中の司会二人


1108_04_04.jpg
各会場中継。大阪の「福澤先生生誕の地」碑から


1108_04_05.jpg
上空を飛び続ける飛行船


次に「日本の近代化150年と慶應義塾社中の絆」ということで、5月に中津から1200キロを走破した「體育會自転車競技倶楽部」と、夏から1500キロを踏破した「ワンダーフォーゲル部」の方が紹介されました。

自転車については、以前(5月5日:到着! ツール・ド・慶應 1200km)紹介しましたが、ワンゲル部のほうも全区間をいくつかに分けて、塾旗を襷代わりにつないでこられたとのことです。


1108_04_06.jpg
自転車競技倶楽部


1108_04_07.jpg
ワンゲル部とともに


1108_04_08.jpg
インタビュー中。
ワンゲル部の女性の左隣は、御年99歳の大先輩!(100年の際もお歩きになったとか)




インタビューが終了した後で、次は前日の「慶應義塾創立150年記念切手贈呈式」の模様の録画映像が大画面にて紹介。

切手は、来往舎で5セット買ってきました。
(そうしたら、席下の引き出物の中に1セット発見)



その後、ワグネルによる「慶應義塾祝典曲」が演奏された後、これまた映像にて創立150年記念事業の紹介が行われました。


慶應義塾祝典曲
 指揮 藤岡 幸夫 文学部 1985年卒業
 演奏 ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
    ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
    ワグネル・ソサィエティー女声合唱団
    混声合唱団楽友会



今回、創立150年記念事業の寄付募集として250億円という金額を2005年10月からの5年間計画で実現しようとしていたわけですが、2008年10月末時点で、250億円に達したことも報告されました。

ここ最近の世界情勢、特に金融関係の不穏な動きを考えると、このタイミングまでに目標金額を達成することができたのは、まさに幸運だったと言えるとともに、社中協力の賜物ではなかったかと思います。



ここまでで式典前プログラムは終了。



オーケストラの前にガラガラと衝立が出現し、式典モードへ転換。

壇上者の椅子が持ち込まれ、
天皇皇后両陛下にご臨席いただくための席も準備されました。


1108_04_09.jpg
舞台転換中





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2008年11月19日

【報告】1108:創立150年記念式典(その3)式典会場

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前
【報告】1108:創立150年記念式典(その2)日吉到着
の続き。




いよいよ、式典会場へ。


私が座るBブロックは協生館横、市営地下鉄の出口前が入口になっていたので、銀杏並木を下って協生館側へ。

1108_02_01.jpg
市営地下鉄出口からBブロック入口へ



今回のメインステージになっている協生館は8月にできた建物ですが、ここには現在、大学院や図書館だけでなく、さまざまなテナントさんも入居されています。

1108_02_02.jpg

 ・セントラルウェルネスクラブ
 ・タリーズ
 ・ローソン
 ・クイーンアリス
 ・ハブ



そして入口ゲートへ。
私の通るBブロックのゲートは写真右上です。


1108_02_03.jpg
ゲート。右上にBブロック専用が。


Bブロックは、いわゆる来賓・招待者用となっていたのでゲートもどうやら別だったようです。

ゲートでは、ICチップ付きの受付証を受付担当の方にお渡しすると、そのチップを読み取り機にかざし、指定席番号が印字されたシールを発行してくれました。

席番号の発行が終わると、次は手荷物チェックに金属探知機(セキュリティゲート)。


それらを切り抜けて、席番号のついたシールをネックストラップで首から吊るした受付証に貼り付けて、いざ会場へ。




私の席はピンポイントで指定(B3-7-6)だったので、席に急ぐ必要もなさそうだったので、もう少し会場内を歩いてみることにしました。


実は席なのですが、「指定席」と事前に書いてあったのですが、届いた参加証には「ブロック」だけしか書いておらず「やはり早く行かねばならんか」と思っていたんです。
ただ、実際は席番号が本当に指定されていて(よく見たら、評議員の50音順の配置でした)、急ぐ必要がなかったんです・・・・




というわけで会場を一回り。

記録台のすぐ下あたりはEブロックのゲート。

1108_02_04.jpg
受付テント


1108_02_05.jpg
Gブロック入口用の臨時階段


1108_02_06.jpg
ズラリと並ぶ臨時トイレ


1108_02_07.jpg
後ろのほうから正面ステージを望む。黄色は塾生用。


1108_02_08.jpg
会場中央の櫓。記者・カメラ席、音響設備等



臨時トイレのすき間の向こうに胸像発見。
これは平沼亮三君です。
「アマチュアスポーツの父」、元:横浜市長です。
そして、今日の総合司会、石坂浩二君の祖父でもあります。


1108_02_09.jpg
競技場観覧席中央の「平沼亮三」胸像



真ん中を過ぎて更に進むと塾生用のシート(黄色)が。


1108_02_10.jpg
塾生用シート


1108_02_11.jpg
集まり始めた塾生


グリーンブロックは順々につめて座っていただいているようでした。


1108_02_12.jpg
まだ座っていないグリーンブロック


1108_02_13.jpg
既に満席のグリーンブロック


グリーンブロック中央からだと、ステージはこんな感じ。

1108_02_14.jpg
グリーンブロック最前列からステージを望む



フッと上を見上げると、そこには飛行船が・・・



1108_02_15.jpg
協生館と飛行船


1108_02_16.jpg
飛行船



ぐるっと一周したところで、いよいよ自分の席へ。


私の席は、正面に向かってやや左側、B3ブロック。

B3ブロックは最前列が大学院研究科委員長および諸学校長。
その後ろに評議員という配置のブロックでした。

私は前から7列目。


1108_02_17.jpg
自席からステージを望む




いよいよ式典が始まります。




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2008年11月18日

【報告】1108:創立150年記念式典(その2)日吉到着

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前
の続き。




さて、スーツを着てネクタイを締めて(スーツの中には防寒対策でヒートテック)、いざ日吉へ。


日吉に近づくほど、それと思しき人たちが次々と。
ネクタイの色、持っている封筒、首から掛けた参加証(はやっ)、色々なものが、塾員であることを示唆しています・・・



日吉到着。



式典まではまだ2時間近くあるにもかかわらず、10時過ぎの日吉には既に人の流れが・・・

駅改札を出て早速「創立150年記念乗車券・記念タオル」を購入(しかも各2セット)。



限定発売だったので、入手したことにホッと一安心したところで、いよいよキャンパスへ。


銀杏並木の前には、大きな看板が。

1108_01_01.jpg
正面入口の看板


振り返ってみると駅には横断幕が。


1108_01_02.jpg
駅の横断幕


入口の看板は、近づいてみるとずいぶん大きなものでした。


1108_01_03.jpg
見上げてみてみた看板



さて、いざここから銀杏並木へ。



銀杏並木すぐ右手の保健管理センターは、臨時の救護所となるようでした。(あの寒さ、何人もの方がお世話になったかもしれません)

1108_01_04.jpg
救護所となる保健管理センター



そこから更にあがった先に、陸上競技場への入口が。

皆さんご存知の、右へ向かうと競技場、左へ向かうと校舎、という、あのポイントです。


陸上競技場のほうへと目を転じると、そこには壮観ともいえる光景が。


この夏に人工芝へ張り替えて新装なった競技場に、ビッシリとイスが並べられ、手前にはセキュリティチェック用のテントが、奥の方には競技場をぐるりと囲む形で仮設トイレの列柱が。


1108_01_05.jpg
ブロックごとカラーリングされた式典開場


1108_01_06.jpg
左手のほうはグリーン・イエローブロック


1108_01_07.jpg
奥の方にはトイレがずらり


1108_01_08.jpg
右手のほう(協生館側)はレッドブロック・ブルーブロック




陸上競技場に入ると、退出不可ということだったので、まだ時間にかなり余裕があったこともあり、競技場周辺を見て回ることに。


銀杏並木を上がり、右手に折れて高校側に行くと、そこには中継車や電源車のような車がずらり。

1108_01_09.jpg
塾高前の車列


また、戻ってくる途中、記念館の前では、これから会場へ向かおうとする一貫教育校の列にも出くわしました。


1108_01_10.jpg
出発前の整列




その後、会場へ入場しようと思い戻っていったわけですが、途中に「150年記念グッズ、来往舎にて発売中」なる看板を見つけて、早速来往舎へ。


そこには、既に黒山の人だかりが。

全くもって、このパワー、恐るべし、です。


1108_01_11.jpg
来往舎の特設売り場

1108_01_12.jpg
グッズを買った参加者の皆さん





さて、これから、いよいよ陸上競技場へ向かいます。





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2008年11月17日

【報告】1108:創立150年記念式典(その1)出発前

既に義塾のサイトでは、創立150年記念式典の模様が公開されていますが、こちらでも負けじと報告を。


というか、ご報告が遅れ申し訳ありません。



さて、
今回の創立150年記念式典は11月8日に行われたわけですが、この8日を中心として、

7日
09:30〜:「慶應義塾創立150年記念」贈呈式
11:00〜:ヴァルタン・グレゴリアン氏およびピーター・マサイアス氏に対する慶應義塾大学名誉博士の称号授与式
14:00〜:創立150年記念国際シンポジウム「大学の未来をデザインする」
17:00〜:創立150年記念祝賀薪能「土蜘蛛」上演

8日:
12:00〜:式典前プログラム
12:45〜:創立150年記念式典・式典
13:50〜:「未来先導宣言」
18:00〜:創立150年記念パーティ@帝国ホテル

9日:
10:00〜:2008年慶應連合三田会大会


と3日間にわたり次々とイベントが開催されました。





特にその中心となる記念式典は、日吉の陸上競技場に1万人以上の人数を集めるということで、事前の準備は大変なものでした。


私自身のところには、6月頃に「評議員向け」と「塾員向け」のお知らせが届き、評議員向けの枠で申し込みをし、10月中頃に以下の参加証が届きました。

IDcard.bmp
参加証:Bブロック用

IDcard_ura.bmp
参加証裏面:ICチップが付いてます



そして、この参加証と一緒に届いた注意書きには色々なことが・・・

Guidance.pdf

飲食、刃物類、大きな荷物はダメ。
12時以降には入場お断り。

Brecep.pdf

Bブロック用は別の受付窓口があるとの情報も。




これらを手にして8日朝10時、日吉キャンパスに乗り込みました・・・






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